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補説§48

 §48.1 テカラとタアトデ:寺村秀夫の論文から §48.2 トキ:寺村秀夫の論文から §48.3 ウチニとアイダニ:寺村秀夫の論文から  

§48.1 テカラとタアトデ:寺村から

 この二つの類義表現の区別はかなり難しい問題です。基本的には寺村の説が正しいと 私は思っています。 寺村秀夫1983「時間的限定の意味と文法的機能」『寺村秀夫論文集機歹本語文法編−』 くろしお出版  つまり、P(テ)カラQという文型は、「Qという事態が生じるのは、Pという時点、 あるいはPという行為、出来事、現象がおこったのちのことであって、それ以前ではな い」ということを話し手が含みとして相手に伝えようとするところから出てくる表現形 式であると考えられる。  Qが情意(願望、命令、勧誘、忠告など)の表現のときは、その含みは「QはP以前 にしてはいけない、まずPをして、それからQをすべきだ」という意味に解釈される。  Qが事実の描写であるときは、Qは、P以前の事実との対比において描かれる効果を もつ。  このように、P(テ)カラQは、「P点以後にQが起こる」という文字どおりの、つま り表の意味に加えて、上のような含みを裏の意味としてもつ、という点で、先に見たP マデニQ、あるいはP(ノ)ウチニQという表現と共通するところがある。  一方のPアトデQは、そういう含みがなく、単に「P点以後にQという事象が起こっ た」ということを述べるに過ぎず、その点で、先のPマエニQと共通しているというこ とができる。                                   (p.149)

§48.2 トキ:寺村秀夫の論文から

「トキハ/トキニ/トキ」の使い分けに関するまとめです。 寺村秀夫1983「時間的限定の意味と文法的機能」『寺村秀夫論文集機歹本語文法編−』 くろしお出版 p.153  PトキハQ  この形が最も適当なのは次の場合である。  (イ)PトキQが一般的な決まりを表しているとき。  (ロ)一回きりの事象でも、Qがある状態を表しているとき。 PトキニQ  この形が最も適当なのは、一回きりの事態との発生を報告する文の場合である。 PトキQ  この形は、上のどの場合にもほとんど使用可能だが、特に、(91)(92)のように、  話し手がまずPという事態を述べ、次にそれに続いて起こったことを、いわば  発見として述べる場合にはこの形が最も適当である。  (91) 「あなた。」頼子が、火鉢の向こうで言った。すわっている二人の間の    距離は遠かった。結城が雑誌から顔を上げたとき、頼子はきちんとすわっ    ていた。                 (松本清張「波の塔」)  (92) 何かがぶつかるような鈍い物音を耳にして人々が駆けつけた時、老人は    水洗便所の鎖を握ったまま、仰向けに壁に靠れていた。                        (遠藤周作「海と毒薬」) p.154 すなわち、PトキハQという構文は、Pという時、(点でも幅でもよい)を題目 として取り立て、そのことについて述べる表現である。文の種類としては述定文の 場合は、習慣やくり返し、規則、原理などの決まりを述べる場合がその典型的なも のである。一回きりの事実を述べる場合でも、Qの述語が状態性のものであるとき は、Pトキハとなるほうが自然である。一回きりの事実で、事態の生起を述べる場 合は、Pトキハとすると対比的になる。(逆にいうと、対比的な事態が容易に想定 できない場合は、Pトキハとする不自然になる。)  これに対し、PトキニQという構文は、Qという事態の発生が既知の情報であっ て、それがいつ起こったのかが問題になっている場合に典型的に使われる表現であ る。(PトキQ全文を新しい情報として聞き手の前にもち出す場合に使われること もある。)このような文の性格を判別するには、たとえば、   Qノハ、Pトキダ のように言いかえられるかどうかというようなテストをやってみるのがよい。  つまり、PトキニQは、「Qという事態がいつ起こったか」という問に対するも のであるのに対し、PトキハQは、「Pというときに、どういうことがあったか、 どういう状態だったか」「一般にPというとき、どうなるか」という問に対する答 だと言ってもよい。  PトキQは、上のPトキニQのような条件がある場合はPトキニQの代りに使え るし、逆にPトキハQのような条件がある場合はPトキハQの代わりにも使える。  PトキQの固有の用法は、先に(93)()で記したような文での使い方である。ハ、 ガについてよくいわれる情報の新旧ということでいえば、PもQも新情報である場 合は、トキハは不適当で、トキが適当だといえる。昔話のように、次々に時の流れ に出来事の進展を述べるというような文章ではトキが最もよく使われる。その場合 の、P→Qの結びつきが、あたかも因果関係をもっているかのようにつながって現 出することを表す表現では、Pトキは、Pト(「洗濯ヲシテイルト、川上カラ大キ ナ桃ガ・・・・」)となる。  以上この節で観察したことをふり返ると次のようである。  Pトキ、Pトキニ、Pトキハなどは、いずれもQを時間的に限定するという点で 一様に「副詞的」語句(あるいは節)と見られているが、PトキQという文には、 構文的、意味的に、少なくとも三つの種類のものがあることが認められなければな らない。その一つは、Pトキという時の点あるいは幅を題目、話題して掲げ、その 時にどういう事象があるか、あったかを述べる、いわば題述文の性格をもったもの であり、その二は、Qという叙述内容を時間の上で限定し、具体化するためにPト キという表現を加える(三上章式にいうと、Qが「陰題」になっている)文であり、 三つめは、Pという事態を(新情報として)伝え、その時点で(あるいはそれに続 いて)Qという事態を、続く新しい情報として述べる、そういう物語りの文である。                             (p.154-156)   

§48.3 ウチニとアイダニ:寺村秀夫の論文から

ウチニとアイダニ  PウチニがPアイダニと異なる点は、形容詞その他で表されているPが、「外」に対 する「内」という見方で把握されたときの幅だという点である。Pは、ただの時の幅で はなく、いずれその時期が終わって、次の対立する時期に移行する、そういう未来のあ る時期と対立するものとして把握された時の幅である。「若イウチニ」というのは、若 い時期がやがて終わり、老年という時期がやってい来る、そういう時の経過による変化 を、対立するものとして捉える言い方である。客観的には変化というものは、時の進行 とともに徐々に連続的に起こるわけであるが、これは、主観的に、ある時期を、次に来 るある時期と不連続の、しかも対立するものと観じ、それをQと関わらせる表現である。                                   (p.144)  PウチニQが、PアイダニQと異なるのは、上のようなPにこめられた意味から来る が、それは同時に、そういうPウチニによって限定されるQにこめられた意味の違いで もある。どこが違うかといえば、PアイダニQは、単にPという時間の幅のどこかでQ という事態が生起する、というだけであるが、PウチニQは、Pが、それに対立するP’ という時に移行したとき、実現不可能か、困難になるような事態であるか、または、 そのような事態が起こるのが普通でないような事態であるという含みがある。そういう 含み、または先に使った用語でいえば裏の意味の有無に違いがある。Qが(64)〜(67)の ように、希望、意志、命令、忠告などの表現のときはPが終わってP’になったとき、 Qができなくなる、だからというのが裏の意味であり、「暗イウチニ働キニ出ル」のよ うな事実報道の表現であれば、その裏に、「ふつうの勤め人は明るくなってから働きに 出る、それに反して」というのが裏の意味ということになる。                                   (p.145) やや異なるもう一つの型(他の例文は省略)  (76) グズグズシテイルウチニ、彼女ハ結婚シテシマッタ。  今までに見てきたPウチニと少し違う点は、Pが、「付キ合ッテイル」「グズグズシ テイル」「積ミアゲテイク」のように、特にP’と対立したものとして捉えられている とは言い難いということである。  このタイプのPウチニQの意味は、次のように記述できるだろう。  はじめはQでない事態、いわばマイナスQの事態であった。それが、Pという事態が 進行して徐々に、だんだん事情が思わぬ方向に発展して遂にQという事態になった、そ ういうことを表す表現であると。  先のタイプのPウチニQでは、Pが形容詞であるのが最も多く、動詞の(テ)イル形 はむしろ少数派で、しかも容易に対立するP’が考えられるものであったが、今見た型 では、形容詞の場合はなく、もっぱら動詞の(テ)イル形であること、しかもその表現 は「対立するP’」が思い浮かぶといったものではないことに特徴がある。また、先の 型ではQが情意的表現であるのが典型的で、事実報道はむしろ少数派であったが、今見 た型では事実報道ばかりであるという点も違うところである。しかし、これらを単に二 種のPウチニQとするよりは、ある共通の意味を持つ型が、PとQの語類、語形によっ てどちらかに解釈されるのだと考えるほうが自然であろう。その共通の意味というの は、やはりQをそうでない事態と対立させていうところにある。 (p.146-147)  ▽ある一つの文型に、二つの違った用法があると見るか、あるいは、それらは一つの用法  の下位分類(環境などによる解釈の違い)と見るべきかは、常に悩ましい問題です。
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