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ウールとカシミヤは、いずれも動物繊維だが、毛をとる動物に違いがあるため、暖かさ・軽さといった繊維の質、製品の値段に違いがある。
ウールは、広義にはヒツジ・アルパカ・アンゴラ・ラクダの毛を指すが、一般的には羊毛(ヒツジの毛)や、その毛織物を指す。
カシミヤは、インド北部カシミール地方原産のカシミヤヤギから採れる産毛を使って織った毛織物。
カシミヤは「カシミア」とも表記するが、消費者庁家庭用品品質表示法の表記では「カシミヤ」である。
ウールに使うヒツジに比べ、カシミヤヤギの頭数は12分の1程度である上、カシミヤはカシミヤヤギの一部の産毛で、1頭から150~250gしかとることができない。
そのため、カシミヤはウールよりも生産量が少なく、高価な繊維になっている。
ウールもカシミヤも、保温性・保湿性・伸縮性に優れた繊維だが、カシミヤはウールよりも繊維が細く、編んだ時に風を通しにくくなっているため、ウールに比べカシミヤの方が暖かい。
また、ウールよりもカシミヤの方が軽く、上品な光沢があり、肌触りが良い。
遺伝子のことを「DNA」ということも多いが、遺伝子を「DNA」というのは俗な言い方で、厳密には違うものである。
DNAは「deoxyribonucleic acid」の略称。
日本語では「デオキシリボ核酸」といい、デオキシリボースという物質を含む核酸という意味である。
五炭糖の一種デオキシリボースとリン酸、塩基が結合してできているのがDNAで、塩基にはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類ある。
この塩基配列が遺伝情報となっているのだが、塩基配列には遺伝情報を持っている部分と持っていない部分がある。
遺伝情報を持っている領域が「遺伝子」。つまり、遺伝子はDNAの一部の領域のことである。
DNAに含まれる全情報のうち、遺伝子の部分は1.5%ほどしかない。
ゲノムは「gene(遺伝子)」と「chromosome(染色体)」の合成語で、DNAに書き込まれた遺伝子でない部分も含めた全ての情報のこと。
DNAは物質の名前であるが、ゲノムは情報という概念である。
材料は、四語の中で最も一般的で、物を作る時にもととなる物の意味のほか、研究や調査の結論を出すもととなる資料の意味。芸術作品の題材となるもの。相場や景気を動かす要因となるものなど、「もと」を表す言葉として広く使われる。
原料とは、製造・加工して製品を作る際、もととする物のこと。
材料と原料の違いは、製品になった時に、もとの形や性質が残っている物が「材料」、もとの形や性質が残っていない物が「原料」である。
しかし、どこまでが原型を留めているといえるか、同じ物でも材料となる物と原料となる物があるなど、材料と原料の境界線は曖昧である。
その曖昧さを解決する言葉が「原材料」で、製品のもととなる原料と材料をいう。
素材とは、もととなる材料や原料のこと。
よく、「素材を活かす」といわれるように、その性質や品質が作るものに反映される材料に対して使う。
また、芸術を創作する上で材料となるものもいい、絵の具や石材といった物的材料にも、題材となるものにも「素材」の語は使われる。
資材とは、物を作るもととなる材料のこと。
特に、生産の場で使われる言葉で、ある程度加工された材料をいうことが多い。
水1リットル当たりに含まれるカルシウムやマグネシウムなどの含有量を「硬度」と言い、硬度の値によって「軟水」と「硬水」に分類される。
分類の基準は国によって異なるが、日本では100mg/l未満を「軟水」、100~300mg/l未満を「中硬水」、硬度300mg/l以上を「硬水」としている。
世界保健機構(WHO)の基準では、硬度120mg/l未満が「軟水」、硬度120mg/l以上が「硬水」である。
水の硬度は、大地を形成する地殻物質の違いや地形との関係が大きく、日本のように国土が狭く、雨水が地中にとどまる時間が短いところでは、地層中のミネラル分をあまり吸い取らないため「軟水」が多くなり、北米や欧州のように国土が広く、雨水が地中にとどまる時間が長いところでは「硬水」が多くなる。
水の硬度は、その土地の食文化とも密接な関係にあり、肉がメインとなる西欧料理ではミネラルが不足になるため、硬水でミネラルを補われる。
また、硬水は灰汁を出しやすいため、シチューなど肉を煮込む料理にも硬水は向いている。
日本料理で使われる水は軟水で、軟水は溶けやすく、色や風味を出しやすいため、出汁を取る、お茶を入れる、米を炊くといったことに向いている。
硬水は代謝が促進され、脂肪の吸収を抑制し、便秘が解消されるため、ダイエットや便秘解消には、硬水を飲むことが効果的とも言われるが、硬水を飲み慣れていない日本人が、硬水を過剰摂取することは胃腸への負担が大きくなるため、注意が必要である。
反対に、軟水は胃腸にやさしい、体への吸収効率が良い、老廃物の排出を促進させる、角質を柔らかくする、肌の乾燥を防ぐといった効果があるといわれ、デメリットらしいデメリットもないため、健康と美容を意識するのであれば、硬水よりも軟水の方が良いといえる。
皮とは、「手の皮」や「みかんの皮」など、動植物の外表を覆っている膜。
「餃子の皮」や「饅頭の皮」など、物を覆ったり包んだりしているもの。
「化けの皮」や「欲の皮」など、物事の本質を覆っているものをいう。
革とは、「牛革の靴」「蛇革の財布」など、動物の皮から毛や脂肪などを取り除き、腐敗や硬化することを防ぐために薬品で処理する「なめし加工」をしたもののこと。
「毛皮」はなめし加工してあるが、毛を剥いでいないため、「毛革」と表記しない。
一般的には「皮」と「革」は区別して使われるが、上記のように処理した「革」も動物の皮に変わりないため、「皮」と表記されることも少なくない。
ただし、「みかんの皮」を「みかんの革」と書いたり、「餃子の皮」を「餃子の革」と書くなど、「革」の意味に当てはまらない表記は間違いである。
皮革は、動物の皮を加工したものの総称。
「皮革製品」「皮革商」「皮革工業」などと用いることが多く、日常会話で用いることは少ない。
ガソリン車の燃料として使われるガソリンには、レギュラーとハイオクがある。
「プレミアムガソリン」とも呼ばれるハイオクは、「ハイオクタン価ガソリン」の略で、オクタン価が高い(ハイ)ガソリンのこと。
レギュラーは、ハイオクに対して標準のガソリンであることを表す。
オクタン価とは、異常燃焼・ノッキングのしにくさを示す指数のこと。
オクタン価が高いほど引火点が高く、燃えにくいが、高馬力が出るため、スポーツカーや大型車に使用される。
オクタン価の高いガソリンで燃焼するよう設計されたハイオク限定車にレギュラーガソリンを使うと、ノッキングを起こしやすく、エンジン故障の原因にもなる。
ハイオク仕様以外の車にハイオクを入れた場合は、エンジントラブルなどはない。
しかし、ハイオク仕様以外の車はオクタン価が低くても正常に燃焼するよう設計されているため、値段の高いハイオクを入れるメリットはなく、わずかに燃費がよくなる可能性があるものの、ガソリン代との比ではない。
オクタン価は0~100の数値で表される。
日本では、レギュラーのオクタン価が89以上96未満、ハイオクが96以上とJIS規格によって定められている。
欧州のガソリンは、オクタン価「91」「95」「98」の3種類あるが、「91」はほぼ流通しておらず、「95」がレギュラー、「98」がハイオクとして扱われ、一般的にはレギュラーの「95」が使用されている。
日本でも「95」はレギュラーになるため、欧州車にはレギュラーを入れても良さそうだが、多くの輸入車はハイオク指定されている。
これは、実際に販売されているガソリンのオクタン価に違いがあるため。
JIS規格で「95」はレギュラーに相当するが、日本で実際に販売されているガソリンは、レギュラーが90~91程度、ハイオクが98~100程度で、「95」以上のガソリンを入れようとすれば、ハイオクを入れなければならず、欧州ではレギュラーで大丈夫な車が、日本ではハイオク指定となるのである。
セメントは、石灰石や粘土などを焼成し、粉砕した灰白色の粉末。
無機質接着剤の総称であるが、普通、「セメント」といった時には、コンクリートやモルタルの主原料として使用される土木建築用のポルトランドセメントを指す。
コンクリートは、セメントに砂・砂利・水を調合し、こね混ぜて固めたものをいう。
固まっていないものは、「生コン(生コンクリート)」といって呼び分けられることが多い。
モルタルは、セメントまたは石灰と砂を混ぜ、水で練ったもの。
壁の下地塗りや上塗り、レンガ・ブロックなどの目地塗り、コンクリートの表面仕上げなどに使用される。
アスファルトは、炭化水素を主成分とする黒色の固体または半固体、粘性の高い液体で、熱を加えると溶解する性質を持つ。
天然のものもあるが、原油を減圧蒸留した際に得られるものがほとんどで、日本で「アスファルト」といえば「石油アスファルト」を指す。
主に道路の舗装に使用され、絶縁材や塗料などにも利用されている。
タールもニコチンもタバコに含まれる有害物質であるが、その性質は異なる。
タールはタバコを吸った時にフィルターや歯を茶色くする粘着性のもので、いわゆる「ヤニ」のこと。
タールには、数百種類の発がん性物質が含まれており、タバコを吸い続けているとガンのリスクが高まるといわれる。
ニコチンには発がん性物質が含まれていないが、神経系に対する毒性が非常に強い猛毒で、中枢神経興奮・抑制作用・血管収縮・心拍数増加などを引き起こす作用があり、心拍数や血圧の上昇、動脈硬化のリスクが高まる。
「ニコチン中毒」と言うようにニコチンは依存性物質で、タバコがやめられない主な原因はニコチンによるものである。
タバコに含まれ、体に悪影響を及ぼす物質には、タールやニコチンの他に「一酸化炭素」もある。
血液中の酸素はヘモグロビンと結びついて全身に運ばれるが、一酸化炭素は酸素に比べて200倍以上もヘモグロビンと結び付きやすい性質を持っているため、一酸化炭素があると酸素がヘモグロビンと結びつくことができず、全身に酸素が行き渡らなくなってしまう。
そのため、喫煙者は慢性的な酸素欠乏状態となり、赤血球が増えて動脈硬化のリスクが高まるといわれる。
電気・電機・電器」は、いずれも「でんき」と読み、それぞれ意味に違いがあるが使い分けが難しい。
電気とは、摩擦電気や放電、電流などの現象の総称。また、電力や電灯も意味する。
電機とは、電力によって運転、使用される機械。電気機械のこと。
電器とは、「電気器具」の略で、電気を利用した器具のこと。
電気の細かな意味まで考えるとわかりにくくなるため、違いに関して考える際には、物理的現象を発生させる電気エネルギーそのもの・電力・電灯を指すとだけ覚えておけばよい。
その電気を使うのが「電機」や「電器」である。
「電機」と「電器」の使い分け方として、大型のものは「電機」、小型のものは「電器」といわれることもあるが、そのように分けえると、大型テレビは「電機」、小型テレビは「電器」になってしまうため正しくない。
「電機」と「電器」の違いを単純に覚える方法としては、「機械・装置」と捉えることが優勢か、「器具・道具」と捉えることが優勢かである。
電気モーター(電動機)などは、機械・装置と捉えるものなので「電機」。
日常の生活で使用する電化製品は、器具・道具として捉えるので「電器」である。
「加湿器」や「炊飯器」のように「器」の字を使っているものも、「掃除機」「洗濯機」のように「機」の字を使っているものも「電器」である。
ただし、電器も機械であることに変わりはなく電機の一種である。
電気エネルギーを使用する機械全般についていう場合は「電機」を使い、家電などの電気製品を手掛けるメーカーを表す場合は「電機メーカー」と書く。
「日本電気」「三洋電機」「松下電器」のように、社名や店名で使われる漢字はややこしい。
家電製品の販売店でも、「ヤマダ電機」のように「電機」を使っている店もあれば、ヤマダ電機が子会社化した「ベスト電器」のように「電器」を使っている店もある。
社名・店名に関しては、会社ごと店ごとで由来が違うため、固有名詞については個々で使い分けを覚える必要がある。
遺伝子のことを「DNA」ということも多いが、遺伝子を「DNA」というのは俗な言い方で、厳密には違うものである。
DNAは「deoxyribonucleic acid」の略称。
日本語では「デオキシリボ核酸」といい、デオキシリボースという物質を含む核酸という意味である。
五炭糖の一種デオキシリボースとリン酸、塩基が結合してできているのがDNAで、塩基にはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類ある。
この塩基配列が遺伝情報となっているのだが、塩基配列には遺伝情報を持っている部分と持っていない部分がある。
遺伝情報を持っている領域が「遺伝子」。つまり、遺伝子はDNAの一部の領域のことである。
DNAに含まれる全情報のうち、遺伝子の部分は1.5%ほどしかない。
ゲノムは「gene(遺伝子)」と「chromosome(染色体)」の合成語で、DNAに書き込まれた遺伝子でない部分も含めた全ての情報のこと。
DNAは物質の名前であるが、ゲノムは情報という概念である。
WebサイトのURLには、「http」で始まるものと「https」で始まるものがある。
「http」は「hypertext transfer protocol」の略で、ハイパーテキスト転送プロトコルという意味。
ハイパーテキストは、文字や画像、音声などをネットワーク上で相互に関連付け、結び付ける仕組み。プロトコルは、コンピュータ間でデータ通信を行うために定められた規約のことで、「http」を簡単にいえば、Webサーバーとブラウザの間で、データをやり取りするために利用する世界共通の通信ルールである。
この「http」に「s」が付いた「https」は、「hypertext transfer protocol secure」の略や、「hypertext transfer protocol over SSL/TLS」の略などといわれる。
「secure」は、「安全である」の意味。
「SSL」は暗号化したデータを送受信するためのプロトコルで、「TLS」は「SSL」を改良したプロトコル。
いずれにせよ、「http」に暗号化機能を追加し、安全にしたプロトコルが「https」ということである。
暗号化されていない「http」と、暗号化された「https」の一番の違いは、ブラウザから入力した情報が、第三者に伝わるか伝わらないかの違い。
サイト内検索程度であれば、検索したキーワードを盗み見されたところで、大きな問題ではないが、クレジットカードの暗証番号などの個人情報が第三者に盗み見されたら、大きな問題である。
「http」のWebサイトで個人情報を入力しサーバー側に送信すると、情報が何も保護されていない状態で送られるため、通信の間で第三者に盗み見される恐れがある。
しかし、「https」のWebサイトでは情報が暗号化されおり、第三者が盗み見しようにも、何が書かれているか理解できない状態になっているため、安心して利用できるのである。
爆弾とは、爆発させて殺傷・破壊するための爆薬を装填した兵器。
爆弾には、核爆弾(原子爆弾・水素爆弾)、手榴弾、地雷、時限爆弾、風船爆弾、電磁波爆弾のほか、多くの種類がある。
また、「爆弾発言」「爆弾低気圧」など、比喩的にも使われる。
ダイナマイトとは、ニトログリセリンを主材とし、珪藻土や弱綿薬・綿火薬などにしみ込ませた爆薬の総称。
日本では、一般社団法人火薬学会によって、ニトロゲル(ブラスチングゼラチン)を6%以上含む爆薬の総称と定義されている。
上記のとおり、ダイナマイトは爆弾に使われる爆薬の一種であり爆弾ではないが、爆薬にダイナマイトを使用した爆弾のことを「ダイナマイト」と呼ぶことが多い。
しかし、ダイナマイトを使用していない爆弾もあるため、すべての爆弾を「ダイナマイト」と呼ぶのは間違いである。
インクジェットプリンターのインクには、染料インクと顔料インクがあり、それぞれにメリット・デメリットがある。
染料インクは、着色成分が溶剤に溶けているインク。
用紙に浸透するため、鮮やかで透明性があり、色の再現度が高い。
印刷表面が滑らかで、光沢感も出やすいため、写真の印刷に適している。
写真専用の用紙など、表面が特殊加工されている用紙であれば、綺麗な発色となる染料インクだが、普通紙の場合はインクが染み込み、滲むこことがある。
また、色が安定するまでに時間がかかり、水や紫外線に弱く、色褪せやすいというデメリットもあるため、長期保存が必要な書類の印刷には適していない。
顔料インクは、着色成分が大きな粒子で溶剤に溶けきっていないインク。
用紙に浸透せず、表面にインクを定着させるため、普通紙でも滲みが少なく、速乾性があり、色の安定も早い。
文字がくっくりと表現され、耐水性・耐光性に優れているため、長期保存が必要な書類の印刷に適している。
繊細な色の表現が難しいため、写真の印刷に不向きだが、普通紙に印刷する場合は、染料インクよりも顔料インクの方が鮮明に印刷される。
粒子が粗いため、プリンターヘッドが目詰まりしやすい。
ダウンロードとインストールの違いを簡単に言えば、パソコンなどにファイルを落とすのが「ダウンロード」、使える状態にすることが「インストール」である。
ダウンロードは、インターネットなどの通信回線を使い、パソコンやスマホなど下位のコンピュータにプログラムやデータを転送する(落とす)こと。
対義語はアップローで、上位のコンピュータに転送することをいう。
インストールは、ソフトウェアをパソコン導入したり、アプリをスマホに導入し、使用可能な状態にすることで、「セットアップ」とも呼ばれる。
対義語はアンインストールで、インストールしたソフト(アプリ)をコンピュータから削除することをいう。
ソフトの中には、ダウンロードをするだけで使用可能な状態になるものもあるが、通常のソフトは、圧縮ファイル(.ZIP)や、自己解凍式ファイル(.EXE)をダウンロードした後、インストールという作業をして使用可能な状態となるため、ダウンロードとインストールの二つの作業が存在する。
画像や動画を見たり、音楽を聴いたりするためには、まず、見たり聴いたりするためのソフトやアプリをインストールする(使える状態にする)必要がある。
既にソフトやアプリがインストールされている状態であれば、目的の画像・動画・音楽のファイルをダウンロードする(転送する)ことで、見たり聴いたりすることができる。
科学は、様々な事象を観察や実験などによって実証された体系的・法則的知識。
広義には、物理学・化学・生物学・地球科学・天文学などの自然科学、政治学・経済学・経営学・法学・社会学などの社会科学・哲学・心理学・言語学・人間科学などの人文科学の総称として用いられる。
狭義に科学は自然科学を指し、小中高の教科でいえば理科である。
その自然科学の一部門として化学があり、科学と混同を避けるため、化学は「ばけがく」とも呼ばれる。
化学は、物質の構造や性質、物質相互間の反応を研究する部門。
簡単にいえば、物質がどのような構造で出来ているか、どんな性質を持っているか、相互反応によってどう変化するかなどを研究する分野である。
気象衛星ひまわりは、日本の気象観測用人工衛星の愛称。
雲や風、海面温度などの気象観測をする。
気象衛星には、大きく分けて軌道気象衛星と静止気象衛星の2種類あるが、ひまわりは、赤道上空の円軌道を地球の自転同期と同じ同期で公転する静止気象衛星である。
アメダス(AMeDAS)は、「Automated Meteological Date Acquisition Sustem」の略で、地域気象観測システムのこと。
日本全国に1,300カ所の無人自動観測所があり、気温・降水量・風向・風速・日照時間などを観測する。
データは、通信回線で気象庁の地域気象観測センターに送られ、チェックされた後に全国の気象台へ配信される。
OCRとは、「optical character reader」の略。
手書きもしくは印刷された文字・数字・記号などを光学的に読み取り、事前に記憶されたパターンと照合して、電気信号に変換する、光学式文字読み取り装置のこと。
主に、コンピュータへのデータ入力の目的で使用される。
認識能力は、活字であれば100%近くになってきたが、手書きの文字の場合は、丁寧に書かれた文字であっても、正しく認識できるところまでには至っていない。
OMRとは、「optical mark reader」の略で、マークシート用紙を読み取る、光学式マーク読み取り装置のこと。
主に、大学入試などの選択試験や、アンケート調査など、大量の情報を処理する際に使用される。
小さなマスを塗りつぶして穴埋めしたり、印刷された丸をなぞる、チェックマークをつけるなど、一定の形式のシート上のマークを読み取るため、精度は高く、高速処理できるが、OCRのように汎用的な文字や記号を読み取ることはできない。
また、OMRの読み取り位置は固定になっているものが多いため、マークシート用紙も装置に合わせて作る必要がある。
BSもCSも人工衛星から送信される衛星放送であるが、使用される衛星が異なる。
BSは「Broadcast Satellite」の略で、日本語に訳すと「放送衛星」。
CSは「Communication Satellite」の略で、日本語に訳すと「通信衛星」。
その名の通り、元々はBSが放送を目的とした衛星であったのに対し、CSは通信を目的とし、主に企業などの受信を対象とした衛星であったが、1989年に放送法が改正され、CSでも一般向けの放送が可能となった。
BSとCSのアンテナの違い。
当初は、BSが東経110度の軌道上、CSが東経124度と128度の軌道上にあったため、それぞれに対応した受信機が必要であったが、2002年に110度CS放送が開始されたため、110度CS対応BSアンテナと1台のチューナーでBSとCSの受信が可能となった。
BSとCSの番組の違い。
BSは高画質のハイビジョン番組が中心。
CSは多チャンネルで専門性の高い番組が多い。
BSとCSの視聴料の違い。
BSの民放各社の放送は基本的に無料。NHK、WOWOW、スターチャンネルは受信契約が必要となる。
CSはスカパーとの契約が必要。過去にはスカパー以外の放送もあったが、現在、日本国内でCS放送を行っているのはスカパーのみである。
液晶テレビは、液晶が碁盤の目に並んだパネルを、バックライトと光の三原色であるR(赤)G(緑)B(青)に色分けされたカラーフィルターで挟み、液晶に電気を通すことでバックライトの光を調整し、その光がカラーフィルターを通ることで映像となる。
プラズマテレビは、パネル一面にRGBの小さな無数の画素が並んでおり、画素ごとに電圧をかけて中に入っているガスを放電させ、その光が蛍光体に当たって映像となる。
自発光するプラズマテレビは、残像感が少なく、動きの激しい映像も滑らかに表現できるため、スポーツ中継などを観るのに適している。
また、鮮明な黒を表現しやすいため、映画のブルーレイにも良い。
バックライトを当てる液晶テレビは、それぞれに発光させる必要がないため小型化しやすく、消費電力も少ない。
また、「大型テレビに向いていない」「残像感がある」といった弱点があった液晶テレビだが、技術の革新によって改善されている。
英語の授業では、文章の最後に「.」を付ける、これをピリオドと呼びます。と習ったことでしょう。 しかし、インターネットのURL等では「.」の事をドットと呼びます。なぜ、呼びかたに違いがあるのでしょう? 二つの違いについて解説します。
ピリオドとは
「ピリオド(period)」とは、英語などの横書き文書で文の終わりに打たれる「.」で「終止符」という意味があります。 日本語では文章の終わりに句点「。」を付けますが、それと同じ役割があります。
ドットとは
「ドット(dot)」とは、「小点」という意味があります。デジタルの世界では「.」という記号をドットといいます。 上記の英文における「ピリオド」は「終止符」という、役割に対しての名称であるのに対し、「ドット」は記号の名称であるという事が出来ます。
因みに、デジタルの世界では、小数点を表すときも「.」を使います。その場合は「ポイント(point)」と呼ばれます。
要するに!
・「ピリオド」→英文などの終わりに打たれる「終止符」
・「ドット」→デジタルの世界で「小点」を意味する名称
デジタル用語で、OSやソフトを新しいバージョンにすることを「アップデート」といいます。少し昔は、パソコンや特定のソフトウェアを使う人の専門用語でしたが、最近はスマートフォンを持つ人が増えたため「アップデート」はより身近な用語となっています。 これと似た用語に「アップグレード」があります。「アップデート」と同じように「更新」や「バージョンアップ」をイメージしますが、二つの言葉はどう違うのでしょうか?
アップデートとは
アップデートの意味は英語で書くとよくわかります。英語では update と書き「up(アップ)」「date(デート)」を組み合わせた単語です。 「date」は「日付」という意味の単語で「アップデート」はソフトウェアやデータをより新しい日付のものに更新することを意味します。
アップグレードとは
アップグレードも英語にしてみるとよくわかります。 「up(アップ)」「grade(グレード)」を組み合わせた単語です。 「grade」は「等級」「階級」という意味の単語で、「アップグレード」は等級やランクをあげることを指します。
デジタル用語では、ソフトウェアやハードウェアを、より高性能、高機能なものに切り替えることを指します。 また、「アップグレード」はデジタル用語以外でも用いられます。 例えば、例えば搭乗チケットをビジネスクラスからファーストクラスへ変更する時や、レギュラー会員からプレミアム会員にサービスを変更する場合等も「アップグレード」と言います。
要するに!
・「アップデート」→ソフトウェアやデータをより新しい日付のものに更新すること
・「アップグレード」→等級を上げること。高性能、高機能なものに切り替えること
パソコンの中に入っていて何らかの作業を行うプログラムやゲームなどの事をソフト、またはアプリと言います。 ファミコンのカセット、PSやWiiのディスクなどコンシューマーゲームでは「ソフト」と言われることが多く、逆にスマートフォンのゲーム等は「アプリ」と呼ばれる傾向が多いようです。 似たような言葉ですが、この二つの言葉には少しだけ違いがあります。
ソフトとは
正式には「ソフトウェア」といい、コンピューターシステム上で何らかの処理を行うプログラム全般を言います。 この対義語に「ハードウェア」というものがありますが、こちらはPCそのものや、ゲーム機など物理的な装置を指します。つまり目に見えるものです。 PC内にあるプログラムは目には見えないものですから、そういったシステム全般を「ソフトウェア」といいます。
アプリとは
正式には「アプリケーションソフトウェア」と言います。これは、上記で説明した「ソフトウェア」の中の1つの種類です。 「ソフトウェア」は、Windows、Android、IOSなどのオペレーティングシステム、と呼ばれる「システムソフトウェア」と、ワード(Word)やエクセル(Excel)など特定の作業を目的として「システムソフトウェア」上で動作する「アプリケーションソフトウェア」に分ける事ができます。 ですから、後者のAndroidやIOSなど、スマートフォンのオペレーティングシステム内で動作する「アプリケーションソフトウェア」を略して「アプリ」と言うのです。
要するに!
・「ソフト」→コンピューターシステム上で何らかの処理を行うプログラム全般
・「アプリ」→オペレーティングシステム内で特定の作業を目的として動作する「ソフトウェア」
Webサイト運営者やブロガーにはお馴染の「アクセス解析ツール」ですが、その基本的な指標として「PV」と「UU」というふたつの単位があります。 どちらもアクセスに対する指標ですが、この二つには次のような違いがあります。
PVとは
「PV」は Page View(ページビュー) を略したもので「ページの閲覧数」を表します。 1人のサイト訪問者がサイト内のページを10ページ閲覧したなら10PVとなります。 尚、解析ツールでは、実際に読んだかどうかは関係がなく、ページが一瞬でも開かれれば「1PV」となります。 また、Aページを閲覧してBページに移動し、もう一度Aページに戻った場合も合計「3PV」というようにカウントします。
UUとは
「UU」は Unique User(ユニークユーザー) を略したもので「訪問者の人数」を表します。 1人のサイト訪問者がサイト内のページを5ページ閲覧しても、10ページ閲覧しても「1UU」になります。 解析ツールでは、デバイスのIPアドレスなどから、「UU」求めますので、実際の人数とはわずかな誤差が出る可能性があります。
要するに!
・「PV」→サイト内のページが開かれた回数
・「UU」→サイトの訪問者数
企業やWebサイトやサービスなどでよく見かける、質問と答え形式のヘルプページ。よく見ると、「Q&A」となっている時と「FAQ」となっている時があります。 いったいどう違うのでしょう?二つの違いについて解説します。
Q&Aとは
「Question & Answer」の略で、そのまま「質問と回答」という意味になります。 質問されたことに対して回答をする、日本語の「一問一答」と同じ意味となります。 WEBサイトのヘルプ等では、制作者が質問を自ら設定しそれに対する回答を載せている場合もあります。
FAQとは
Frequently Asked Questions」の略で、「よくある質問」という意味になります。 WEBサイト等では、ヘルプセンターによく寄せられる質問にはあらかじめ回答を用意しておいて、ユーザーの利便性を上げたり、ヘルプセンターの業務を減らそうと言う狙いがあります。
「FAQ」は、上記の「Q&A」形式で提供されていることが多く、しばしば混同されますが、根本的な意味には違いがあります。
要するに!
・「Q&A」→質問と回答
・「FAQ」→よくある質問
近い過去から現在までの期間を意味する言葉には、「最近」「近頃」「この頃」「昨今」などあるが、同じように使える場合と使えない場合があるので使い分けが必要である。
「昨今」は文章語なので、硬い口調で古い印象を与える場面であれば会話の中でも使えるが、ふつうの会話の中では「最近」「近頃」「この頃」が使われる。
「―流行っている」のように、近い過去から現在まで継続している事柄については、「最近」「近頃」「この頃」「昨今」の全て使うことができるが、時間的な幅に違いがある。
時間的な幅が広い事柄にも使えるのは「最近」「近頃」「昨今」で、最も時間幅が広いのは「最近」、その次に「近頃」「昨今」となる。
「この頃」は少し前から今までを表すため、「―の若者は…」のようにやや長い期間を表す場合には使いにくい。
「彼に会ったのは最近だ」のように、過去のある一時点、一度限りのことについていう場合に、「この頃」「昨今」は使えない。
「彼に会ったのは近頃のことだ」のように「のこと」を付け加えれば「近頃」も使えるが、「最近」の方が自然である。
時期とは、あることを行う時。ある一定の期間。
時季とは、季節。特に、あることが盛んに行われる季節や、そのことをするのに最もふさわしい時期。
時機とは、あることを行うのにちょうど良い機会。
時期と時季と時機の使い分けは、英語で考えるとわかりやすく、時期は「タイム(time)」、時季は「シーズン(season)」、時機は「チャンス(chance)」である。
使い分けを間違えやすいのは時期と時季で、期間を表すのか季節を表すのか迷う場合である。
「入学のじき」といえば「春」だが、入学を行う時を表すため、「入学の時季」ではなく「入学の時期」。
「寒いじき」で「冬」という季節を強調したいのであれば、「寒い時季」と書くことも間違いとは言い切れないが、普通は寒い期間を表すため「寒い時期」と書く。
「行楽のじき」は「行楽シーズン」に置き換えられるように、行楽が盛んに行われる季節を表すため、「行楽の時季」と書く。
しかし、「行楽でにぎわうじき」という場合は期間を表すため、「行楽でにぎわう時期」と書く。
時期と時機の使い分けで間違えやすいのは、あることを行うにはまだ早いことを意味する四字熟語の「じきしょうそう」。
タイミングであってチャンスではないめ、「時機尚早」ではなく「時期尚早」と書く。
また、「じきそうしょう」と読んだり、「時期早尚」と書くのも誤りである。
春のお彼岸は、春分の日を中日とし、前後3日を合わせた7日間。
秋のお彼岸は、秋分の日を中日とし、前後3日を合わせた7日間である。
春彼岸と秋彼岸の違いは、3月の春と9月の秋という季節のほか、「おはぎとぼたもちの違い」がある。
しかし、昔は春と秋で「おはぎ」と「ぼたもち」は呼び分けられていたが、現在では呼び分けられていない。
その他に春彼岸と秋彼岸の違いを挙げるとすれば、連歌・俳諧・俳句などで用いられる季語の違いである。
「彼岸」は春のお彼岸を意味するため、秋の季語としては用いられない。
秋のお彼岸を季語とする場合は「秋彼岸」で、子季語には「後の彼岸」「秋彼岸会」がある。
また、春の季語として用いられる彼岸の子季語には、「彼岸中日」「彼岸太郎」「入り彼岸」「さき彼岸」「初手彼岸」「終ひ彼岸」「彼岸ばらい」「彼岸前」「彼岸過」「彼岸講」「万灯日」などがある。
夏季とは、夏の季節のことで、季節が中心にある言葉。
「夏季オリンピック」「夏季限定メニュー」など、夏だからこそ行われることには「夏季」が使われる。
夏期とは、夏の期間のことで、期間が中心にある言葉。
「夏期講習」「夏期大学」など、それ自体は季節を問わず行われるもので、今回行う期間が夏という場合に「夏期」が使われる。
夏季休暇と夏期休暇の場合は、暑い夏の季節だから休むものと捉えれば「夏季休暇」、夏の間の一定期間の休みと捉えれば「夏期休暇」となる。
どちらか一方が間違いということではなく、捉え方の違いだけなので、使いたい方を使えばよい。
ただし、学校教育法施行令では休業日について「夏季」を使用しているため、学校では「夏季休暇」を使う必要がある。
また、これにならって新聞やテレビも「夏季休暇」を使っているため、「夏季休暇」と「夏期休暇」で迷う場合は、「夏季休暇」を使用するのが無難である。
真夏と盛夏と盛暑は、夏の暑い盛りを表す言葉である。
最も一般的な表現で、日常会話でも使われるのが「真夏」。
真夏のやや硬い表現が「盛夏」。
盛暑は「夏の盛り」という時期よりも、「暑さの盛り」という暑さに重点を置いて、その時期を表したやや古風な表現である。
手紙の時候の挨拶では、「盛夏の候」や「盛暑の候」、その他に「猛暑の候」「酷暑の候」などとも書く。
何月何日から何月何日までが、盛夏や盛暑と決まっているわけではないが、一般に梅雨明けから立秋までが最も暑い時期となるため、7月中旬から8月上旬に使われる。
ただし、自分の住む地域は梅雨が明けていたとしても、相手の住む地域が梅雨明けしていなければ、「盛夏の候」や「盛暑の候」という挨拶はおかしくなってしまうため、手紙を書く際は、相手の住む地域の気候に注意する必要がある。
昨年」「去年」「前年」「旧年」は、いずれも今年の前の年を表す言葉だが、場面に応じた使い分けが必要である。
昨年は「去年」に比べて改まった表現であるため、目上の人との会話や、文章で表す際は「昨年」と書くことが多い。
去年は話し言葉として多く使われ、目上の人以外との会話や、友人とのメールなど会話に近い文章、文章中の日常会話を表現する時などに用いられる。
前年は「前年の売り上げ」「前年比〇〇%」など、比較する際に多く用いられる。
また、前年は基準となる年の前の年を表す言葉であり、必ずしも今年の前の年とは限らないところが、「昨年」「去年」「旧年」などと異なる点である。
「結婚した年の前年」といった場合、結婚した年が昨年(去年)であれば、基準となる年は昨年で、結婚した年の前年は一昨年(おととし)となる。
旧年は、新しい年を迎えた際に前の年を表す新年の季語である。
そのため、「旧年中はお世話になりました」と新年の挨拶に使われる。
「昨年」「去年」「前年」「旧年」は、反対語にも違いがある。
昨年に対し、今年の次の年は「明年」。
去年に対し、今年の次の年は「来年」。
前年の反対語は「翌年」で、基準となる年の次の年のこと。
旧年に対するのは「新年」で、新しく迎えた年、つまり今年が反対語となる。
陰暦(旧暦)の夏は、4月から6月までを指し、夏の初めである4月を「初夏」、夏の半ばである5月を「仲夏」、夏の終わりである6月を「晩夏」という。
陰暦の4月は、太陽暦(新暦)で5月6日頃から6月5日頃であるため、今の暦で初夏は5月初旬から6月初旬である。
立夏は、二十四節気の一。暦の上で夏の始まる日を表し、太陽暦で5月6日頃を指す。
二十四節気は1年を24に分け季節を表したもので、陰暦の異称よりも細かく、「夏」を表す言葉は「立夏」のほかに、5月21日頃の「小満」、6月6日頃の「芒種」、6月21日頃の「夏至」、7月7日頃の「小暑」、7月23日頃の「大暑」がある。
つまり、初夏は、立夏(5月6日頃)から、小満(5月21日頃)を経て、芒種の前日の6月5日頃までを指す。
また、立夏や小満は、その1日を表す言葉だが、期間としての意味でも使われるため、初夏は立夏と小満ともいえる。
孟夏の「孟」は「初め」の意味で、初夏と同じく、陰暦の4月の異称。
孟夏は、古風な言い方となるため、初夏に比べ使われることが少ない。
うるう年とは、太陽暦と地球の自転速度が一致せず、調整するために1年を366日とする年のこと。
平年は365日であるが、地球が太陽を一周するのは、365日5時48分46秒であるため、ほぼ4年に1回、2月の日数を29日として調整される。
うるう秒は、うるう年で追加された1日でも調整しきれない分を追加するものと思われがちだが、暦の調整をするものではなく、時刻の調整をするものである。
また、うるう秒は、うるう年のように決まった周期で行われるものではなく、不定期で適宜導入されるものである。
うるう秒とは、原子時計による標準時刻と、地球の自転速度との誤差を調整するために、追加・削除される1秒のこと。
現在、私たちが使っている時刻は、精確に時を刻むセシウム原子時計を基準としているが、地球の自転速度は不規則であるため、原子時計と天文観測による天文時に誤差が生じる。
この誤差を調整しなかった場合は、50年間の累積で30秒、100年間の累積で100秒程度と試算されており、更に長い年月進めば、昼と夜の時刻が逆転する可能性もあるため、誤差が0.9秒以内に収まるように調整されるのが「うるう秒」である。
うるう秒の調整は、12月か6月末日の最後の秒に行われ、それでも調整しきれない場合は、3月末か9月の末日の最後の秒で行われる。
地球の自転が遅い場合は、59分59秒の後に59分60秒を挿入し、自転が速い場合は、59分59秒を飛ばして0分0秒にする。
ただし、世界時と日本時間では、日本時間の方が9時間進んでいるため、日本では午前8時59分の最後の秒で調整が行われる。
なお、自転速度はだんだん遅くなっているため、1秒飛ばす調整方法が行われたことはない。
元日は、1年の最初の日で、1月1日のこと。
元旦は、元日の朝、元日のこと。
元旦の「旦」の字は、太陽が地平線から出るさまを表した漢字で、朝や夜明けを表すため、元旦は1月1日の朝のみを表すともいわれるが、1月1日(元日)も意味する。
しかし、元旦が元日の朝も意味することには変わりないため、1月1日の朝をいう場合は、「元旦の朝」とはいわず「元日の朝」というのが正しい。
年賀状は、1月1日の朝に届くよう出すのが礼儀であるため、日付は「元日」ではなく、ふつうは「元旦」と書く。
「〇〇年元旦」と年号を付けることは良いが、「一月元旦」と月を付けてしまうと、1月が重複するため間違いである。
正月は1月のことで、元日や元旦と異なり、1年の最初の月を表す。
ただし、元日から1月末日までの1カ月間を指して使われることは少なく、一般には正月を祝う期間を指す。
その期間は、大きく分けると三が日と松の内に分けられる。
三が日は、元日から3日間のこと。
国民の祝日は元日のみだが、官公庁や金融機関などは三が日を休日とし、一般企業もこれに準じていることが多い。
また、新年を迎えて世の中がお祭りムードになっている期間でもあるため、「正月休み」や「正月気分が抜けない」など、元日に近い意味での「正月」は、三が日のことをいう。
松の内は、正月の松飾りのある内の意味で、風習・行事としていう場合の「正月」は、松の内を指していることが多い。
昔は元日から15日までを「松の内」といったが、現在は7日までをいうのが一般的である。
ただし、地域の風習によって違いがあり、関西地方では15日(小正月)までが多く、一部地域では20日(二十日正月)までというところもある。
晦日とは、月の最後の日のこと。
読みには、「みそか」「つごもり」「かいじつ」がある。
みそかは、月の30番目の日(三十日)の意味だが、実際の日付に関係なく、月の最終日を意味するため、31日まである月は30日ではなく31日を「みそか」と言う。
つごもりは、陰暦では月が隠れる頃が月末にあたることから、「つきごもり(月隠)」が音変化したもの。更に音変化して「つもごり」ともいう。
かいじつは、「晦日」の音読。「晦」の字は、月が隠れることを表している。
大晦日とは、12月31日のこと。
一年の最後の月の最終日であることから、「大」を冠して「大晦日」となった。
晦日を「みそか」や「つごもり」と読むのは、和語を当てた当て読みで、漢字本来の読みからすれば「かいじつ」だが、大晦日は「おおみそか」か「おおつごもり」としか読まず、「おおかいじつ」や「だいかいじつ」とは読まない。
時と時間は、過去・現在・未来へと一定の速さで連続して流れてゆくと考えられているものを表す。
「時(時間)が経つのは早い」のように、幅をもった表現に「時刻」は用いられない。
「時は戦国時代」「紅葉の時」「時は来た!それだけだ(by 橋本真也)」のように、時代や年代、ころ、季節、時候、好機など、流れの中のある一点やある期間を指す場合は、「時間」「時刻」は使えない。
時の流れの中にある一点を指すという意味では「時刻」も一点であるが、「ただいまの時刻」「発車時刻」のように、「何時何分」といった計られる形で示される一瞬、時点をいう。
時間も時刻と同義で用いられ、日常語では「時間」の方が多く用いられる。
しかし、「時の間」と書くように、本来、時間は一点からある一点までの長さを表す。
「何時何分」といった一点を表す際に「時間」を用いるのは、俗的な表現が一般化したもので、正確には「時刻」である。
夜更けを表す言葉は、深夜・夜中(真夜中)・未明・夜半などと多くあるが、それぞれに時間帯の明確な定義がある訳ではないため、違いは感覚的なものとなる。
特に、電気が使われるようになってからは、生活のリズムが夜中心の人も多くなっているため、人によって指している時間帯が異なることも多い。
NHK放送文化研究所が全国調査を行った結果では、夜中が午後11時台から午前2時台、深夜が午前0時台から午前2時台、未明が午前2時台から午前4時台となっている。
しかし、気象庁の予報用語で「未明」は、午前0時から午前3時頃を指し、報道でも「未明」と言えば、午前0時から午前3時頃を指す。
「夜中じゅうずっと遊んでいた」という表現もされるように、夜中は他に比べて長い時間帯を表すことがある。
真夜中は、夜中を強調した言い方。
正午の反対の正子(午前0時)が夜の中間地点となるため、午前0時の前後30分間くらいを指すことが多いが、夜中よりも更に遅い時間と捉えて午前3時頃を指すこともある。
深夜は、「深夜営業」や「深夜料金」など、他の語と複合した形で使われることが多い。
労働基準法では、午後10時から午前5時までを深夜業としており、この時間帯を基準に、タクシーなど一部のサービス業では深夜割増料金として徴収されることがある。
風俗営業法では、午前0時から日の出までを深夜としている。
各地方公共団体の青少年保護育成条例では、青少年単独の深夜外出禁止時間を、午後11時から午前4時までと規定しているところが多い。
テレビやラジオの深夜放送は、午後11時もしくは午前0時から午前5時頃までの時間帯を指すのが一般的である。
深夜を意味する「深更(しんこう)」は、主に文章語として用いられる。
夜半も日常語としてはあまり用いられず、主に文章語として使われる。
夜の中間を表すため、真夜中と同様に、午前0時の前後30分間くらいを指すことが多い。
梅雨は、6月から7月頃に降り続く長雨。また、その雨期のこと。
日本では、北海道と小笠原諸島を除く地域にみられる。
雨季(雨期)は、1年のうちで降水量の多い時期のことで、普通、1カ月以上にわたるものを指す。
日本では、6月以降の梅雨期、9月以降の秋雨期、日本海側の降雪期が雨季にあたり、梅雨は雨季の一種である。
雨季に対して、降水量の少ない時期・季節を「乾季」という。
乾季は、熱帯・亜熱帯地域など、1年を通して気候の変動が激しくない地域に使われる言葉で、気温ではなく降水量を基準に季節を表す際に「雨季」「乾季」とされることも多い。
日本に乾季はないため、乾季に対する季節として「雨季」という場合には、雨季の一種に梅雨は含まれない。
昼の12時を表す正午。
午前の終わりと考えれば「午前12時」、午後の始まりと考えれば「午後0時」と表現でき、どちらも正しいと言えば正しい。
午前と午後の定義に関しては、明治5年11月9日の太政官達「改暦ノ布告」で、24時間制の12時(正午)を「午前12時」、24時間制の0時(正子)を「午前0時」と「午後12時」としており、法律的には「午後0時」の表現は存在しない。
しかし、日本の標準時を決定している情報通信研究機構が、「この法律はもともと改歴が目的で、午前・午後の定義については十分な審議がなされなかったものと思われる」としているように、この法律に従い、「午前12時」や「午後12時」と言った場合は、昼の12時なのか、夜の12時なのか分かりづらい。
国立天文台などの公的機関でも、昼の12時を「午後0時」、夜の12時を「午前0時」と言ったほうが誤解が少なくなるとしているように、一般的には「午後0時」が多く使われている。
つまり、法律上は「午前12時」が正しいとされているが、一般的には「午後0時」と言った方が伝わりやすいということである。
夕焼けと夕暮れの違いは、気象現象と時間帯の違いである。
夕焼けは、日没の頃、地平線に近い西の空が赤く染まって見える現象のことで、日の出の頃、東の空が赤く染まって見えるのは「朝焼け」という。
夕暮れは、日が暮れる頃の「時間帯」を指すため、天候に関係なく毎日訪れるものだが、夕焼けは、天候によって見える日と見えない日がある。
大量に降る雨のことを「大雨」や「豪雨」という。
一般的には、大雨よりも豪雨の方が激しい勢いで降る雨といった、イメージのみで使い分けられている。
しかし、気象庁の予報用語では、明確な使い分けがされている。
大雨は「大雨注意報基準以上の雨」のことをいう。
大雨注意報や大雨警報の基準は、地域ごと地形ごとで異なっており、何ミリ以上ならば「大雨」といった単純なものではない。(「注意報」「警報」「特別警報」の違いを参照)
豪雨は「著しい災害が発生した顕著な大雨現象」のことをいう。
これから降る雨のことではなく、過去に起きた大雨災害の名称や、地域に定着している災害の通称を指す時に使われる言葉である。
そのため、「今後の大雨にご注意ください」と言うことはあっても、「今後の豪雨にご注意ください」と言うことはなく、「豪雨」が単独で使われることもない。
しかし、予報で「豪雨」が全く使われないわけではない。
天気予報では「〇〇豪雨に匹敵する大雨」というように、過去に起こった大雨災害の名称を引用し、その災害と比較する形で大雨の危険性を表す使い方をしている。
自然災害が起こるおそれがあるとき、注意喚起や警告のために発表されるものには、「注意報」「警報」「特別警報」がある。
注意報は「災害が起るおそれがある場合にその旨を注意して行う予報」。
注意報の対象となるのは、気象・地面現象・高潮・波浪・浸水・洪水の6種類で、気象注意報の中には、風雪・強風・大雨・大雪・雷・乾燥・濃霧・霜・なだれ・低温・着雪・着氷・融雪の13種類ある。
警報は「重大な災害の起こるおそれのある旨を警告して行う予報」。
警報の対象となるのは、気象・地面現象・高潮・波浪・浸水・洪水の6種類で、注意報と同じだが、気象の中身に違いがあり、気象警報は暴風・暴風雪・大雨・大雪の4種類である。
特別警報は「予想される現象が特に異常であるため重大な災害の起こるおそれが著しく大きい場合に、その旨を示して行う警報」。
平成25年(2013)8月30日から運用が開始された新しい警報である。
特別警報となるのは、気象・地面現象・高潮・波浪の4種類で、気象特別警報は暴風・暴風雪・大雨・大雪の4種類である。
「注意報」「警報」「特別警報」の順に被害のおそれが強くなり、特別警報にいたっては、数十年に一度しかないような大災害が起こると予想される場合に発表し、最大級の警戒を呼び掛けるものなので、避難指示や避難勧告に従い、早めに行動することが必要である。
「注意報」「警報」「特別警報」の全国的に共通する基準については以上の通りだが、具体的な基準については書くことができない。
というのも、注意報や警報は、各地の地形、地盤の強度、気候によって、地域ごとで基準が違うためである。
例えば、北海道や北陸地方などの降雪量が多い地域と、東京などの少ない地域では、同じ雪の量でも対応できる力に違いがあり、災害が起こる可能性も違ってくる。
東京の例年の降雪量を全国の基準としたならば、北海道や北陸は常に「警報」が出されることになり、北海道や北陸に基準を合わせれば、「注意報」でも東京は災害が起きる可能性が高くなるのである。
ちなみに、沖縄ではめったに雪が降らないため、大雪注意報の基準すら設けられていない。
また、「注意報」と「警報・特別警報」では基づく法律にも違いがある。
警報と特別警報は「気象業務法」で定義されたものだが、注意報の定義は「気象業務法施行令」である。
揺れの激しい地震や被害の大きい地震は、規模によって大地震・巨大地震・超巨大地震と呼び分けられる。
これらは基本的に、震度ではなくマグニチュードによって区別されている。
一般に、大地震は、マグニチュード7以上の地震。
巨大地震は、マグニチュード8以上の地震。
超巨大地震は、モーメントマグニチュード9以上の地震をいう。
厳密に定義されているのは、マグニチュード7以上の大地震のみで、巨大地震や超巨大地震は厳密に定義されている訳ではない。
そのため、災害の規模によってはマグニチュード7であっても、「巨大地震」と呼ぶこともある。
近年の主な地震(震災)は以下の通りである。
大地震は、阪神・淡路大震災(1995年)、熊本地震(2016年)。
巨大地震は、チリ地震(2010年)
大地震よりも小さな地震には、中地震・小地震・微小地震がある。
中地震は、マグニチュード5以上7未満の地震。
小地震は、マグニチュード3以上5未満の地震。
微小地震は、マグニチュード1以上3未満の地震である。
初雪と新雪は、「新しい雪」という意味では共通するが、両者は全く異なるものを表している。
初雪とは、その冬に初めて降る雪。また、新年に初めて降る雪のこと。
ふつうは、その冬に初めて降った雪を表す。
新雪とは、新しく降り積もった雪のことで、降雪の結晶の形が崩れず残っているものをいう。
新雪の対義語は「圧雪」で、踏み固められた雪を表す。
つまり、初雪が表す「新しい」は「時期」のことで、新雪が表す「新しい」は「状態」のことである。
そのため、初めて降った雪が踏み固められず残っていたら、「初雪の新雪」にはなるが、「初雪=新雪」にはならない。
気象庁で発表される台風情報では、「超大型で非常に強い台風」というように、台風が大きさと強さで表される。
大きさの階級は、風速15m/s以上となる強風域の大きさによって、「大型」と「超大型」の2段階に分けられ、大型は「大きい」、超大型は「非常に大きい」と表現されることもある。
大型の台風は風速15m/s以上の半径が500km以上~800km未満のもの、超大型の台風は800km以上のものをいう。
強さの階級は、10分間平均の最大風速によって、「強い」と「非常に強い」と「猛烈な」の3段階に分けられる。
強い台風は、33m/s(64ノット)以上~44m/s(85ノット)未満。
非常に強い台風は、44m/s(85ノット)以上~54m/s(105ノット)未満。
猛烈な台風は、54m/s(105ノット)以上である。
かつては、台風の大きさを「ごく小さい」「小型」「中型」「大型」「超大型」の5段階、強さを「弱い」「並の強さ」「強い」「非常に強い」「猛烈な」の5段階で表していた。
しかし、1999年に神奈川県の玄倉川で起きた水難事故をきっかけに、「小型」や「並」などの表現は過小評価される恐れがあり、防災上好ましくないと考えられるようになったことから、2000年6月1日より「ごく小さい」「小型」「中型」、「弱い」「並の強さ」の表現は廃止された。
そのため、「大型」と「強い」の基準に満たない台風の場合は、大きさや強さの表現をせず、単に「台風」と呼び、大きさが500km未満で、風速が33m/s以上~44m/s未満のように、一方のみ基準を超えている場合は、「強い台風」といった表現がされている。
秋の空に見られる、ひつじ雲、うろこ雲、いわし雲。
それぞれ、ヒツジに似ていたり、魚の鱗のように見えたり、イワシの群れに見えることから付けられた俗称で、ひつじ雲は「高積雲」、うろこ雲といわし雲は「巻積雲」が正式な名前である。
うろこ雲といわし雲は、同じ巻積雲なので違いはなく、見え方によって「うろこ雲」「いわし雲」と呼び分けられているにすぎない。
「さば雲」と呼ばれる雲も、うろこ雲やいわし雲と同じ巻積雲のことで、サバの背にある模様に似た波状の雲をいう。
ひつじ雲の「高積雲」と、うろこ雲やいわし雲の「巻積雲」の決定的な違いは、雲が発生する高さである。
高積雲は高度2~7kmの中層に発生し、巻積雲は高度5~13kmの上層に発生する。
高度に違いがあるため、地上に近いひつじ雲は、一つ一つの塊が大きく見え、地上から遠くにあるうろこ雲やいわし雲は、一つ一つの塊が小さく見える。
その他、高積雲(ひつじ雲)は雲が厚く、光の通過が少ないのに対し、巻積雲(うろこ雲・いわし雲)は雲が薄く、光の通過が多いという特徴がある。
台風は熱帯低気圧の一種で、構造は同じであるが、最大風速によって「台風」と「熱帯低気圧」に呼び分けられる。
熱帯低気圧は、亜熱帯や熱帯の海上に発生する低気圧。
海からの水蒸気が主なエネルギー源で、発達すると暴風雨を伴う。
熱帯低気圧のうち、北半球かつ東経180度より西の領域の北西太平洋または南シナ海に存在する、中心付近の最大風速(10分間平均)が毎秒17.2m(34ノット、風力8)以上のもを「台風」と呼ぶ。
毎秒17.2m未満のものは、そのまま「熱帯低気圧」と呼ばれる。
日本は上記に位置するため、毎秒17.2m以上に発達した熱帯低気圧は「台風」と呼ばれるが、発達した熱帯低気圧でも、北西太平洋や南シナ海以外に存在するものは、位置や最大風速によって、「ハリケーン」や「サイクロン」と呼ばれる。
氾濫も決壊も、大雨などで起こるものだが、表す状態に違いがある。
氾濫は、雨などによって水があふれかえること。
決壊は、堤防やダムなどが切れて崩れることをいう。
大雨で堤防が決壊し、川の水が氾濫することはある。
しかし、堤防が決壊していなくても、川の水があふれることはあり、必ずしも同時に起こるものではない。
氾濫には「外水氾濫」と「内水氾濫」がある。
外水氾濫は、川の水があふれ出ること。
内水氾濫は、ゲリラ豪雨などにより、排水路や下水道などに流しきれない水があふれること。
「氾濫」だからといって、川の水があふれ出ているとも限らないのである。
また、氾濫には「情報が氾濫する」など「事物があふれるほど出回る」という意味もある。
これは、「あふれている」という意味から転じたもので、洪水が好ましくないように、多くは、好ましくないものがあふれ出回っている場合に用いられる。
大きく分類すると、建物自体を強く頑丈にした「剛」の「耐震」と、振動を軽減させる「柔」の「免震」「制震(制振)」に分かれる。
「免震」と「制震(制振)」は、揺れを軽減する仕組みに違いがあり、「制震」と「制振」の構造は同じものを指すが、使用場面によって用いられる漢字が異なる。
耐震構造とは、耐力壁などの強固な部材や筋交いなどにより、建物の強度を高め、地震の揺れに抵抗できるようにした構造。
耐震構造の場合、建物自体は衝撃に耐えうる強固なものとなるが、揺れ自体を軽減する訳ではないため、大きな地震の場合は、柱・梁・壁などの損傷や家具の転倒は避けられない。
免震構造とは、建物と地盤の間に積層ゴムやダンパーなどの装置を入れて絶縁し、地震による振動が建物に伝わるのを軽減する構造。
免震構造の建物は、揺れを大幅に軽減させることができ、家具の転倒などもほとんどなくなるが、他に比べてコストが高く、軟弱な地盤では使用できないというデメリットがある。
また、建物と地盤を絶縁しているため、強力な台風や竜巻による倒壊や、津波などで押し流される可能性もあるといわれる。
制震構造とは、建物の要所にダンパーを設置することで、振動を吸収し、建物の揺れを軽減する仕組みの構造。
免震構造ほどの効果はないが、建物の一部に可動部分を設けて揺れを吸収するため、ある程度の二次災害は回避でき、コストも免震ほど高くない。
「制震」は「地震を制する」という意味、「制振」は「振動を制する」という意味で、この構造は地震に限らず、新幹線や大型トラックの通過などの振動を軽減することが目的であるため、近年は「制振」が多く用いられるようになってきたが、地震対策の用語として「耐震」や「免震」との比較がしやすいため、「制震」を用いる民間企業も多い。
なお、日本建築学会では、「制振」を正式な用語としている。
霧(きり)と靄(もや)は、大気中の水蒸気が微小な水滴がとなって浮遊し、視界が悪くなる現象をいい、霞(かすみ)は、空気中の水滴やその他の粒子によって視界が悪い状態をいう。
現象としては「霧」も「靄」も同じものを指すが、気象用語では、視程1km未満の状態を「霧」、視程1km以上10km未満を「靄」と呼ぶ。
つまり、近くのものしか識別できない状態(濃いもの)が「霧」、遠くまで識別できる状態(薄いもの)が「靄」である。
濃い霧は「濃霧」というが、濃霧は視程が陸上で100m以下、海上で500m以下の霧をいう。
「霞」は、気象用語として用いられていない。
また、気象用語での「靄」の定義は、微小な水滴や湿った微粒子で湿度50%以上のものをいい、湿度50%未満の乾いた煙や砂ぼこりなどによって、視程1km以上10km未満となっている状態は「煙霧」という。
俳句などの季語では、春のものを「霞」、秋のものを「霧」とし、「靄」は単独では季語となっていない。
「霞」が春の季語、「霧」が秋の季語となったのは平安時代頃からで、古くは区別がなく、「霧」も「霞」も春秋を問わず使われていた。
雹(ひょう)」も「霰(あられ)」も、空から降ってくる氷の粒だが、一番の違いは大きさにある。
ひょうは直径5mm以上の大きなものをいい、あられは直径5mm未満のものをいう。
世界最大の雹は、1917年に現在の熊谷市に降った直径29.6cmのものとされている。
あられは、雪に近い「雪あられ」と、ひょうに近い「氷あられ」に区別される。
「氷あられ」は「ひょう」と同じ原理で発生する5mm未満のものであるが、「ひょう」と「雪あられ」では発生するメカニズムに違いがある。
ひょうは、積乱雲などの不安定な層の中でできた氷の塊が落ちてくるもの。
氷が雲の中で上昇と下降を繰り返し、溶けたり固まったりしているうちに、付着した水滴が凍結して大きな塊となり重くなる。
上昇気流がその重さを支え切れなくなって、氷の塊として降ってくるのが「ひょう」で、初夏から秋に多く、短時間に局地的に降る。
雪あられは、雪に少量の水滴が付着し落ちてくるもので、白色不透明で柔らかい。
気温が0度前後の初冬や早春に発生しやすく、降雪の前後に降ることが多い。
氷あられは、白色半透明か不透明な氷の粒で硬い。
気温が0度より高い時に積乱雲から降ってくるもので、夕立の降り始めにみられることが多い。
天気予報の「一時」「時々」「のち」「所により」は、厳密に区別されている。
一時雨は、ある時間のみ連続して降る雨を表す。
連続的に降る雨の時間が、予報対象となる期間の4分の1未満の場合に「一時雨」が用いられる。
時々雨は、降ったり止んだりする雨を表す。
断続的に降る雨の時間の合計が、予報対象となる期間の2分の1未満の場合に「時々雨」が用いられる。
のち雨は、予報期間の後半に雨が降ること。
所により雨は、予報地域の半分より狭い範囲のどこかで雨が降ることを表す。
雨の降る時間を比較した場合、「一時雨」より「時々雨」の方が長い時間降る可能性は高くなるが、一時的に大量の雨が降ることもあれば、少量の雨が断続的に降ることもあり、「一時雨」と「時々雨」との降水量の比較はできない。
また、雨に限らず、晴れ・曇り・雪の場合でも、連続的に4分の1未満であれば「一時」、断続的に2分の1未満であれば「時々」、後半であれば「のち」、地域の半分より狭い範囲のどこかであれば「所により」が用いられる。
降雪量(降雪の深さ)」と「積雪量(積雪の深さ)」は、どちらも降り積もった雪の量を表すが、降雪は「雪が降ること」の意味が中心、積雪は「降った雪が積もること」が中心にあり、降雪量と積雪量では基準が異なる。
降雪量は、「10時から12時にかけて2時間の降雪量」というように、1時間、2時間など、ある時間内に降り積もった雪の深さ。
積雪量は、「12時時点の積雪量」というように、自然な状態で降り積もった、ある時点での雪の深さを表す。
10時から雪が降り始めたのであれば、10時から12時までの降雪量と12時時点の積雪量は同じになるが、前日から雪が降り始め、既に10時の時点で積もっていたとすれば、10時から12時までの降雪量よりも、12時時点の積雪量の方が多くなる。
ただし、上記は単純計算した場合の比較で、積雪は、重みで沈んだり、解けたりするため、累積降雪量と積雪量が一致するとは限らない。
天気予報で「積雪あり」とされる基準は、観測所の周辺地面の半分以上が雪で覆われた状態で、半分以上を覆っていない場合は「積雪なし」となる。
「積雪0cm」と発表されるのは、雪はそれほど積もっていないが、地面の半分以上が雪で覆われた状態であることを表している。
降雪量は、一定時間毎に積雪量の差を求め、積雪差の正の値の合計で表される。
10時の時点で1cmの積雪があったとし、11時の時点で3cmになっていれば、10時から11時までの降雪量は2cmである。
これが、12時の時点で2cmの積雪になっていたら、11時から12時まではマイナス1cmだが、差に使われるのは正の値のみであるため、11時から12時までの降雪は無いことになり、10時から12時までの降雪量は2cmとなる。
なお、降雪と積雪は、雪だけでなく、霰(あられ)や雹(ひょう)といった固形降水も含まれる。
着雪は、雪が電線や木などに付着する現象を意味する。
湿った雪が付着し、送電線や船体などに被害が起こる可能性がある時には、「着雪注意報」が発表される。
降雪や積雪とは異なり、計測するものではないため、「着雪量」が発表されることもない。
洪水・土砂災害・津波・大規模火災・原子力災害など、災害に関する避難情報には、危険度の低い順から、避難準備情報・避難勧告・避難指示がある。
避難準備情報は、今後、避難勧告が発令される可能性が高い時に、一般住民に避難の準備を促すもの。
また、お年寄りや身体障害者など、移動に時間がかかる災害時要援護者を、早期に避難させるため呼びかけるものでもある。
しかし、避難準備情報の意味が理解されておらず、平成28年8月に発生した台風10号による水害で、高齢者施設で適切な避難行動がとられなかったことから、高齢者が避難を開始する段階であることを明確にするため、平成28年12月26日に「避難準備・高齢者等避難開始」へ名称変更されている。
避難勧告は、災害の発生する恐れがある場合に、避難のため立ち退きを勧めるもの。
避難指示は、災害が発生している、もしくは発生する恐れが非常に高と判断された時に出され、避難勧告よりも危険が切迫し、避難のため立ち退きさせるためのもの。
避難指示では緊急を要することが伝わりづらいため、避難準備情報の変更と同じ平成28年12月26日に、「避難指示(緊急)」へ変更されている。
避難指示の次の段階として、避難命令があると思われがちだが、日本に避難命令の法律はない。
日本で避難指示の次の段階にあるのは、警戒区域の設定で、実質的に警戒区域の設定が避難命令に相当する。
警戒区域の設定により、災害応急対策に従事する作業員などの許可を得た以外の者に対して、警戒区域への出入りを制限・禁止したり、退去が命ぜられ、警戒区域に無断で侵入した場合は、懲役や罰金が科されることがある。
気象衛星ひまわりは、日本の気象観測用人工衛星の愛称。
雲や風、海面温度などの気象観測をする。
気象衛星には、大きく分けて軌道気象衛星と静止気象衛星の2種類あるが、ひまわりは、赤道上空の円軌道を地球の自転同期と同じ同期で公転する静止気象衛星である。
アメダス(AMeDAS)は、「Automated Meteological Date Acquisition Sustem」の略で、地域気象観測システムのこと。
日本全国に1,300カ所の無人自動観測所があり、気温・降水量・風向・風速・日照時間などを観測する。
データは、通信回線で気象庁の地域気象観測センターに送られ、チェックされた後に全国の気象台へ配信される。
天気・天候・気候は、ある地域の晴雨・気温・湿度・風などの状態・状況を表す。
気象は、大気の状態・変化を物理現象としていう言葉で、「気象観測」や「気象衛星」「気象学」など、研究や学問に関する複合語として用いられることが多い。
天気・天候・気候は、表す期間によって使い分けられる。
天気は、数時間から数日間の気象状態。
天候は、天気よりも長いが、一週間や一カ月など比較的短い期間の気象状態で、気象庁では5日から一カ月程度の平均的な天気状態としている。
気候は、一カ月以上の長期にわたる気象の平均的な状態をいう。
一週間であれば「天候」になるため、「一週間の天気予報」ではなく「一週間の天候予報」が正しいようにも思える。
しかし、週間天気予報は一日単位の予報であるため、「一週間の天気予報」は間違いではない。
天気と天候には、期間以外の使い分け方もあり、天気は日常語、天候は天気の硬い表現として使われる。
「天気の回復を待つ」と「天候の回復を待つ」は、同じ意味・同じ期間であるが、「天気」と言うより「天候」と言った方が硬い表現になる。
一日の最高気温がセ氏25度以上の日を「夏日」、30度以上の日を「真夏日」、35度以上の日を「猛暑日」といい、酷暑日は猛暑日の俗称である。
昔は、最高気温がセ氏35度以上になる日が少なかったため、35度以上の日を表す正式な予報用語はなかった。
マスコミなどでは、最高気温が35度以上の日を「酷暑日」と表現し、一般にも「酷暑日」が浸透したが、最高気温が35度以上になる日が増えたことから、気象庁は2007年4月1日に予報用語を改正し、35度以上の日を「猛暑日」とした。
そのため、正式な予報用語としては「猛暑日」を使い、「酷暑日」は「猛暑日」の俗称という位置づけになった。
ただし、気温の高い日ではなく、激しい暑さを表す言葉は「酷暑」と定義され、「猛暑」は定義されていない。
熱帯夜は、最高気温ではなく最低気温に基づくもので、夜間の最低気温がセ氏25度以上の日をいう。
最低気温が20度以上の場合は「真夏夜」というが、20度以上が特別なことではなくなったため、現在ではほとんど使われない表現である。
また、30度以上の場合は「超熱帯夜」というが、正式な気象用語ではない。
降水量も降雨量も、地面に浸みこんだり、蒸発したりすることなく、その場につもったと仮定した水の深さのことで、普通、「mm(ミリメートル)」で示される。
共に、雨量計で観測され、同じ水量を表しているように思えるが、違いは雨量計に入る水にある。
降雨量は、雨だけが降った量。
降水量は、雨・雪・霰(あられ)・雹(ひょう)・霜などを全て水に換算した際の量。
降雨量と同様に、雪の降った量だけを表す場合は「降雪量」という。
降雪量も、雨量計で観測される水に換算した時の水の深さで、積もった雪の量を表すものではない。
積もった雪の量は、積雪量や積雪深といい、積雪計で観測される。
梅雨は、6月から7月頃に降り続く長雨。また、その雨期のこと。
日本では、北海道と小笠原諸島を除く地域にみられる。
雨季(雨期)は、1年のうちで降水量の多い時期のことで、普通、1カ月以上にわたるものを指す。
日本では、6月以降の梅雨期、9月以降の秋雨期、日本海側の降雪期が雨季にあたり、梅雨は雨季の一種である。
雨季に対して、降水量の少ない時期・季節を「乾季」という。
乾季は、熱帯・亜熱帯地域など、1年を通して気候の変動が激しくない地域に使われる言葉で、気温ではなく降水量を基準に季節を表す際に「雨季」「乾季」とされることも多い。
日本に乾季はないため、乾季に対する季節として「雨季」という場合には、雨季の一種に梅雨は含まれない。
震度とは、ある場所(測定される場所)での地震による揺れの強さ。
マグニチュードとは、地震そのものの規模の大きさのこと。
マグニチュードと震度の関係は、電球と明るさの関係にたとえられ、電球の明るさを「マグニチュード」とすると、場所ごとに感じる明るさが「震度」。
同じ電球の光でも、電球のある場所から近い所では明るく、電球から離れた所では暗く感じられる。
これと同じで、マグニチュードの値が小さい地震でも、震源からの距離が近いと震度は大きく、マグニチュードが大きい地震でも、震源からの距離が遠ければ震度は小さくなる。
距離には深さも関係する。
地図で見た震源の場所が同じで、マグニチュードが同じ値であっても、震源が深いほど震度は小さくなり、震源が浅いほど震度は大きくなる。
夕焼けと夕暮れの違いは、気象現象と時間帯の違いである。
夕焼けは、日没の頃、地平線に近い西の空が赤く染まって見える現象のことで、日の出の頃、東の空が赤く染まって見えるのは「朝焼け」という。
夕暮れは、日が暮れる頃の「時間帯」を指すため、天候に関係なく毎日訪れるものだが、夕焼けは、天候によって見える日と見えない日がある。
彗星も流星も尾を引いて光るものだが、彗星は太陽系の小天体、流星は宇宙の塵が発光する現象である。
彗星(ほうき星)は、氷に固体微粒子が混じった太陽系の小天体で、太陽に近づくと熱で氷が溶け、表面から放出されたガスや微粒子が太陽の光に反射し光って見える。
尾は太陽風に飛ばされてできるため、進行方向に関係なく、太陽と正反対の方向に伸びる。
流星(流れ星)は、宇宙の塵が地球の大気中に高速で突入し、その際の摩擦によって光って見える。
流星も尾を引いて光るが、高度100キロ付近で光り始め、多くは70キロ付近で燃え尽きてしまうため、地上から見ると一瞬光って見えるだけである。
また、燃えながら地球に近づいているため、流星の尾は進行方向の後ろに伸びる。
体幹とは、頭と四肢(両手と両脚)を除いた部分。つまり、胴体ことである。
また、胴体にある筋肉のことも「体幹」とも呼ぶ。
この筋肉を「インナーマッスル」と呼んだりするが、体幹にはインナーマッスルとアウターマッスルが存在する。
アウターマッスルとは、皮膚の上からでも触ることができる三角筋・大胸筋・腹直筋などの筋肉。
体の表面に近いところ、浅いところにあることから「表層筋」や「浅層筋」ともいう。
インナーマッスルとは、大腰筋・腸骨筋など、体の深部にある比較的小さい筋肉で、体の奥深いところにあることから「深層筋」ともいう。
インナーマッスルもアウターマッスルも、胴体に限らず、腕や脚などにも存在する。
つまり、体幹は筋肉のある「場所」、インナーマッスルは筋肉が存在する場所の「深さ」を表す。
「体幹を鍛える」といえば、胴体の筋肉(インナーマッスルとアウターマッスルの両方)を鍛えること。
「インナーマッスルを鍛える」といえば、体(体幹に限らず全身)の奥深いところにある筋肉を鍛えることである。
このように、体幹とインナーマッスルは全く違うものである。
しかし、コアマッスル(体幹にある筋肉)を「体幹」と呼ぶ時には、特に、体幹のインナーマッスルを指すことが多いため、一般には「体幹=インナーマッスル」として扱われている。
遺伝子のことを「DNA」ということも多いが、遺伝子を「DNA」というのは俗な言い方で、厳密には違うものである。
DNAは「deoxyribonucleic acid」の略称。
日本語では「デオキシリボ核酸」といい、デオキシリボースという物質を含む核酸という意味である。
五炭糖の一種デオキシリボースとリン酸、塩基が結合してできているのがDNAで、塩基にはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種類ある。
この塩基配列が遺伝情報となっているのだが、塩基配列には遺伝情報を持っている部分と持っていない部分がある。
遺伝情報を持っている領域が「遺伝子」。つまり、遺伝子はDNAの一部の領域のことである。
DNAに含まれる全情報のうち、遺伝子の部分は1.5%ほどしかない。
ゲノムは「gene(遺伝子)」と「chromosome(染色体)」の合成語で、DNAに書き込まれた遺伝子でない部分も含めた全ての情報のこと。
DNAは物質の名前であるが、ゲノムは情報という概念である。
頭に生える毛の呼称には、髪、髪の毛、頭髪、毛髪などがある。
一般によく使われるのは「髪」と「髪の毛」で、両者を置き換えても差し支えないことが多いが、使い分けるとすれば、頭に生えた毛全体には「髪」、1本1本の毛を指すには「髪の毛」と使い分ける。
髪は全体を指していうことから、「髪が乱れる」「髪をつくる」というように、髪型の意味でも使われ、「髪の毛が乱れる」というと、髪の一部が乱れた印象を与える。
髪の毛は髪の1本1本の毛を表すことから、飲食店で料理に毛が入っていた場合、普通は「髪が入っている」といわず、「髪の毛が入っている」という。
頭髪は、髪の改まった言い方である。
「頭髪検査」や「頭髪治療」などの決まった言葉であれば会話中にも使われるが、話し言葉として使うことは少なく、主に、文章の中で使われる。
毛髪は髪の毛と同じ意味で使われることが多いため、あまり知られていないが、本来、毛髪は人の体毛の総称で、髪の毛に限っていう言葉ではない。
目は、物を見る働きをする視覚器官をいう一般的な言葉。
眼球のみならず、まぶたや目尻など眼球の周囲も含んでいることが多い。
まなこ(眼)は、「目の子」の意味で、本来は黒目(瞳孔)のみを指した。
現代では「目」と同様の意味で使われ、「どんぐりまなこ」や「寝ぼけまなこ」など、目の形や目つきを表す言葉にも使われる。
瞳は、眼球の中央部にある黒い部分、いわゆる黒目(瞳孔)をいう。
「つぶらな瞳」「瞳を閉じる」「真っ直ぐな瞳」というように、目や視線の意味でも使われるが、これらは比喩的表現で、ふつうは黒目のみを指す言葉である。
屁」も「おなら」も、飲み込んだ空気や腸の内容物の発酵によって生じたガスが、肛門から排出されるものをいうが、厳密には「屁」と「おなら」に違いがある。
おならは、「お鳴らし」が略されてできた女房言葉。
音の鳴る放屁が「おなら」であり、音のしない屁は「おなら」ではないのである。
元々は、音の鳴るものも鳴らないものも「屁」であったが、「おなら」という言葉が広まっていくと、音の鳴らないものを「屁」、音の鳴るものを「おなら」と区別されるようになった。
その違いを表現した古川柳に、「屁をひったより気の毒は おならなり」というものがある。
やがて、「屁」と「おなら」が同じ意味で用いられるようになったことから、音のするものとしないものを分けるため、音のしない屁を「すかしっ屁」と呼ぶようになった。
屁(すかしっ屁)のほうが、音が出る「おなら」よりも臭い理由は、屁に含まれるガスと空気の混合割合によるもの。
大きな音の出るおならは、ガスよりも空気の割合が多く、空気圧が高くなるため、音が出る代わりに臭くなりにくい。
音のしない、もしくは、音の小さい屁は、ガスの濃度が濃いため臭いにおいがするが、空気圧が低いため音がしないのである。
鳥類学では「羽」と「羽根」を使い分けておらず、全て「羽」と表記するが、一般には「羽」と「羽根」の表記は使い分けされている。
「羽」と書くのは、鳥の全身を覆う軽い毛、鳥や昆虫が飛ぶための器官(昆虫の場合は「翅」とも書く)、翼状のもの。
「羽根」と書くのは、鳥や昆虫の体から抜けた羽や、羽を加工したもの、またそれに模したものである。
「はねを伸ばす」や「はねを休める」は、鳥の翼にたとえた言葉なので、「羽を伸ばす」「羽を休める」と書く。
共同募金の「赤いはね」は、1本になっているので「赤い羽根共同募金」。
バドミントンや羽子板の「はね」も「羽根」である。
飛行機の「はね」は翼状になっているため「羽」と書くが、ヘリコプターのプロペラや扇風機の「はね」は翼状でないため「羽根」。
トンボの「はね」は「羽(翅)」だが、竹トンボの「はね」は「羽根」と書く。
掛け布団の「はね」は、バラバラになった羽が加工されたものなので、普通は「羽根」と表記するが、鳥の全身に生えている毛のような役割をするものという観点から、「羽」と書かれることもある。
ひげを表す漢字には「髭」と「鬚」と「髯」がある。
単に「ひげ」といった場合は「髭」の漢字を使うが、口ひげ(口の上の毛)は「髭」、あごひげは「鬚」、ほおひげは「髯」と生えている場所によって使い分けられる。
髭・鬚・髯に共通する部首の髟(かみがしら)は、かみの毛を表す。
髭の「此」は、ぎざぎざとしてふぞろいな様で、髭は口の上(鼻の下)のふぞろいなひげ。
鬚の「須」の字は、元々、あごひげの垂れた老人を描いた象形文字であったが、のちに「彡(長い毛や沢山の毛)+頁(あたま)」で、柔らかいあごひげを表すようになった。
髯の「冉」は、柔らかいひげが左右に垂れた姿を描いた象形文字で、髯は柔らかいほおひげを表す。
英語では、口ひげが「a mustache(米)」「a moustache(英)」、あごひげが「a beard」、ほおひげが「whiskers」。
日本語の「ひげ」のように生えている場所による区別をせず、単に「ひげ」という時には、口ひげではなく、あごひげの「a beard」が使われる。
その他、「mustachios(大きな口ひげ)」や、「a goatee(やぎひげ)」という単語もある。
からだ」の漢字には、体・身体・躰・躯・軆・軀・體があり、一般的には「体」、次いで「身体」と書かれることが多い。
「体」と「身体」の基本的な意味は同じだが、使用する場面や、細かな意味の違いで使い分けされる。
常用漢字で「からだ」は「体」と表記するのが正しく、常用漢字で「身体」は「しんたい」と読み、「からだ」を「身体」と書くのは常用漢字外の表記となる。
そのため、公的な文書で「身体」と書いた場合は「からだ」と読まず、「しんたい」と読まれる。
身は、「身が引き締まる」や「身に染みる」というように、心・精神の意味で使われたり、「身の程をわきまえる」や「相手の身になって考える」というように、地位・身分・立場の意味でも使われる。
そのため、心身を表す時には「身体」、固体として肉体を表す時には「体」が使われることが多い。
上記の違いに関連して、次のような使い分けもされる。
体は人間や動物、物体まで幅広く使用されるが、心や精神、地位や立場などを持つのは人間だけなので、身体はほぼ人間に対してのみ使用される。
からだ全体を表す場合は「体」とも「身体」とも書くが、頭と手足を除いた胴の部分を表す場合は「体」のみである。
「体」よりも「身体」の方が改まった表現となり、手紙で「お体を大切に」と書くよりも、「お身体を大切に」と書いた方が丁寧になる。
母体は、産前から産後までを含めた母親の体のこと。
「母体の健康」や「母体の安全」という時の「母体」に、赤ちゃん(胎児)は含まれていない。
母胎は、赤ちゃんがいる母親の胎内のこと。
母体は肉眼で見ることが出来るが、普通、母胎は肉眼で見られず、超音波写真(エコー写真)などで見る。
母体と母胎は、基盤となるものの比喩としても使われるが、元の意味に違いがあるように、使われる意味にも微妙な違いがある。
母体は、「運営母体」や「選挙母体」など、分かれ出た元となるもの、発展の元となるものをいう。
母胎は、「発明の母胎」「技術の母胎」など、物事を生み出す基盤となるものの意味で使われる。
一般的には「足」が多く使われるが、人のあしを指す部分によって漢字を使い分ける場合は、足首からつま先の部分を「足」、足首から骨盤までを「脚」と表記する。
哺乳動物には「肢」、昆虫には「脚」が多く用いられる。
生物の種類による使い分けというよりも、漢字が表す意味で使い分けされるため、哺乳動物に「脚」と書いたり、昆虫に「肢」と書くことも多い。
「足を運ぶ」「足を奪う」「足を洗う」「足が地に着かない」「足が早い」など、比喩的表現には「足」が多く使われる。
このような比喩表現の多くが、歩く・走るといった足を使った動作からや、足の形状に似たものである。
脚は動物の胴から下に伸びた部分を表すため、「馬脚」「脚光」「健脚」など、あし全体を表す言葉に多く使われる。
また、胴から下に伸びた部分や、支える部分といった意味から、「テーブルの脚」「脚立」など、物の下の細長い部分を表す際にも用いる。
肢は、肉月に支で「身体の枝」を意味し、主に、生物学や医学の用語で用いられる。
哺乳動物の場合は、人の手にあたる部分が「前肢(ぜんし)」、足にあたる部分が「後肢(こうし)」。
昆虫の場合は、前胸部にあるものを「前肢」、胸脚のうち後方の一対のものを「後肢」。
人の場合は、前肢(手)を「上肢(じょうし)」、後肢(足)は「下肢(かし)」という。
マグロの胴体部分の肉は、大きく「トロ」と「赤身」に分けられる。
トロは赤身に対して脂肪の多い部分で、そのうち、特に脂肪分が多くて色が白っぽく、とろけるような舌触りのものが「大トロ」、それ以外を「中トロ」という。
赤身は背骨周辺や背側にあり、マグロの中でも一番多く取れる部分で、単に「マグロ」と呼ぶ時は「赤身」を指す。
酸味があって、マグロ本来の旨みが感じられるのが赤身である。
トロは、背側よりも腹側から多く取れる。
マグロの身は、頭に近い方から「かみ」「なか」「しも」に分けられ、背側のかみを「背かみ」、腹側のかみを「腹かみ」などと呼ぶ。
中トロは、「背かみ」から「背しも」にかけた背側、「腹なか」から「腹しも」にかけた尾に近い部分から取れる。
赤身に脂の甘みが加わり、まったりとした感じがあるのが中トロである。
大トロが多く取れるのは、「腹かみ」から「腹なか」の頭に近い腹側。
「トロ」と呼ばれる部分の5分の1程度と希少で、脂の甘みが強く、身というよりも、脂の旨みを食べるのが大トロである。
一般的には上記のように分けられるが、明確な規定はないので、「中トロ」と思えるような部分を「大トロ」として提供している店もある。
トロと赤身は、栄養やカロリーにも違いがある。
赤身は、タンパク質が多く、低脂肪でカロリーが低い。
トロの脂は、DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)を含み、ビタミンA・D・Eも赤身より多いが、脂分が多いためカロリーは高い。
トロは取れる量も少なく、赤身よりも好んで食べられる部位だが、昔は、脂分の多い食べ物が好まれていなかったことや、保存や輸送の技術が未発達で、脂の味が悪かったことから、江戸時代には、猫も見向きもしない食べ物という意味で「猫またぎ」などと呼び、捨てられていた部位であった。
視覚器官の「め」を表す漢字には、「目」と「眼」がある。
目は眼よりも日常的に使われ、「台風の目」「魚の目」「痛い目」「ひいき目」など、目の形状や働き・機能などからたとえた言葉も多く、広い意味で用いられる。
医学的・生理学的・生物学的な用語では、器官や構造として「眼」が多く用いられるが、それ以外の場面ではあまり用いられない。
眼の字を使う言葉は、「眼科」「眼圧」「眼球」「眼孔」など「がん」と発音するものが多く、視覚機能や構造を意味するものが多い。
眼を「め」と読む言葉には、「眼鏡」や「眼薬」などあるが、これも器官の意味で使われている。
「専門家のめ」など、物事を見抜く力、洞察力を意味する時の「め」は、「目」と「眼」の両方が使われるが、科学的であったり、鋭い洞察力であることを表現する際に、「眼」を用いることが多い。
めだまは「目玉」としか書かないが、「めのたま」といった場合は「目」も「眼」も使われる。
「目」を使う場合は「目の玉」だが、「眼」を使う場合は「眼の球」と書き、構造的な意味合いが強い表現となる。
うなじは、首の後ろの部分。
襟足は、首の後ろ側の髪の生え際。
首筋は「首の筋」と書くため、首の前の部分や、前後を含めた首全体を指すように思われがちだが、うなじと同じ、首の後ろの部分を指す。
うなじや首筋には、「襟首」や「首根っこ」という言い方もある。
ただし、首根っこには「首の根元」の意味があり、指している場所が違うこともある。
また、「首根っこを押さえる」と言うように、首根っこは他の言葉よりもやや乱暴な表現となる。
かいわれ大根とは、大根の種子を発芽させ、軸が伸びて子葉が開いたところに日光を当てて緑化したものである。
子葉が双葉で、二枚貝が殻を開いたような形なので「かいわれ(貝割れ)」という名前がつけられた。
かいわれ大根も大根であることに違いはないが、野菜のジャンルとして分けた場合、大根は人参などの仲間で根菜類。
かいわれ大根はスプラウトの一種で、もやしやアルファルファなどの仲間である。
スプラウトとは食用の新芽のことで、「発芽野菜」や「新芽野菜」とも呼ばれる。
かいわれ大根は大根の新芽なので、土に植えて栽培すると大根になる。
しかし、市販のかいわれ大根は大きく育たないように品種改良された専用の大根なので、栽培しても育つ本数は少なく、育っても大きな大根にならないことが多い。
野菜と蔬菜の元々の意味は異なるが、現在では同義として扱われている。
本来、蔬菜は食用にする草本植物(草)の総称で、キノコなども含んで用いられた語である。
蔬菜は野菜よりも意味が広く、栽培種・野生種を問わず使われており、蔬菜の中でも野生のものを指していった言葉が「野菜」や「山菜」であった。
やがて、野菜が野生の食用草本植物を指したことから、蔬菜は栽培する食用草本植物を指し、野生種と栽培種で区別さるようになった。
ところが、それまで野生であったものも栽培されるようになり、区別ができなくなったため、野菜と蔬菜は同義として扱われるようになった。
蔬菜の「蔬」の字が常用漢字外であることもあり、一般に「野菜」が使われる。
民間で広く「野菜」と呼ばれるようになってからも、官公庁用語では「蔬菜」が使われていたが、最近では官公庁用語でも「野菜」を使っている。
アーモンドとピーナッツ(ピーナツ)は、食用とする植物の実という点では共通するが、ナッツ類とナッツ類でないものという違いがある。
「ナッツ」というのは、食用になる木の実のこと。
ピーナッツは名前に「ナッツ」が入っているため、ナッツ類として扱われることも多いが、厳密にいえばピーナッツはナッツ類ではない。
アーモンドはバラ科の木で、そこから採った実なので、ナッツ類に含まれる。
しかし、ピーナッツは「落花生」というマメ科の草の実で、ナッツ類ではなく「豆」なのである。
春の七草とは、芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)の7種。
この野菜を刻んで入れたお粥を「七草粥」といい、一年の無病息災を願って1月7日に食べられる。
秋の七草とは、萩(はぎ)・尾花(おばな)・葛(くず)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・桔梗(ききょう)の7種。
秋の七草は春の七草のように、食べたり何かの行事をするものではなく、秋を代表する草花で、観賞するものである。
春の七草は、年初に芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習に由来し、中国の「七種菜羹(七種の野菜の汁物)」と合わさって、1月7日に七草粥を食べるようになったといわれる。
秋の七草は、万葉集で山上憶良が詠んだ「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」と「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花」の2首の歌が由来といわれる。
歌の中で「朝貌」とあるのは、桔梗の説が有力とされるが、朝顔・木槿(むくげ)・昼顔などの説もある。
ピーナッツ(ピーナツ)と落花生と南京豆は、それぞれの語源や名称の意味を知ることで違いも分かる。
ピーナッツは、英語の「peanuts」から。
「pea」はエンドウ豆やエンドウ豆に似た植物のことで「豆」を意味し、「nuts」は「木の実」を意味する。
つまり、ピーナッツは「木の実(ナッツ)のような豆」が語源である。
落花生は、受粉した後、花が下を向いて子房が地下に潜り込み、地面の中で実をつけるという特徴から名付けられた漢名である。
この落花生の語源に由来する別称には、「地豆(じまめ、沖縄方言では「ジーマーミ」)」もある。
南京豆の「南京」は、中国から渡来したものを表す言葉で、江戸時代に中国から日本へ伝わったことに由来する。
ただし、現在栽培されているのは、明治維新以降に入った品種で、当時の南京豆とは品種が異なる。
中国伝来の意味では、「唐人豆」や「異人豆」という別称もある。
この中で、「落花生」という呼称は植物としての特徴を表しているため、植物名として表す際には「ラッカセイ」が使われる。
また、殻の付いたままの実もその特徴を表しているため、食用としての実の中でも、殻が付いたままのものは「落花生」と呼ばれる。
ピーナッツは、「豆」を表す名前なので、殻が取り除かれた実や、茶色い皮が取り除かれた実で、塩などで調理した後のものを指すことが多い。
南京豆は、最も古い言い方になり、現在ではあまり使われないが、殻だけが取り除かれ、茶色い皮が残ったままの実をいうこと指すことがある。
ただし、皮の付いた実は「ピーナッツ」とも「落花生」とも呼ぶことがあり、明確な使い分け方ではない。
実の状態以外に、洋風の味付けや洋菓子に用いた実は「ピーナッツ」、和風の味付けや和菓子に用いた実は「落花生」というように、調理の仕方による使い分け方もある。
これは、ピーナッツは英語の名称で、落花生は漢名から入って日本語になった名称のためである。
スダチもカボスも、ユズの近縁種でミカン科の香酸柑橘類。キロ当たりの値段もほぼ同じである。
そのため、スダチとカボスはよく混同されるが、産地が異なり、見た目の大きさにも違いがある。
すだちは徳島県の特産で、9割以上が徳島県産である。
大きさはゴルフボールくらいで、重さは40g程度。
かぼすは大分県の特産で、9割以上が大分県産である。
大きさはテニスボールくらいで、重さは100~150gほどあるため、スダチとカボスは大きさで見分けられる。
刺身や焼き魚、鍋料理などの薬味に使われる点では共通するが、スダチとカボスの酸味は異なるため、適した料理にも違いがある。
スダチは、さっぱりとした酸味なので、焼き松茸との相性が良い。
カボスは、まろやかな酸味で素材の味を壊さないため、ふぐ料理などにはカボスを使った方が良い。
キュウリは野菜として扱われ、同じウリ科でもスイカやメロンは果物として扱われるように、野菜と果物は学術的に区別されていない。
分類する明確な定義はないものの、野菜と果物を区別する際の基礎となるのは、草として生えるものか、木になるものかという違いである。
野菜は「野の菜」と書くように、葉・茎・根などを食用とする野に生える草という意味で、田畑で栽培され、副食物とされる植物が野菜。
果物の語源は「木の物」という意味で、木になる果実が果物である。
これに似た分類の仕方には、多年生を果物、一年生を野菜とするものがあり、農林水産省の分類はこれに近い。
農林水産省では、食用に供し得る草本性の植物で、加工の程度の低いまま副食物として利用されるものを「野菜」。
2年以上栽培する草本植物及び木本植物であって、果実を食用とするものを「果樹」として取り扱うとしている。
スイカやメロン、イチゴなどは、栽培方法が苗を植えて1年で収穫し、一般的な野菜と同じであるため、野菜として取り扱っている。
ただし、このような果実として利用される野菜は「果実的野菜」として、別の区別の仕方もしている。
また、一般的に栗や梅などは「果物」と思われていないが、農水省では「果樹」として扱っている。
生産の段階ではこのような分類の仕方になるが、実際に売られている場所でいえば、イチゴ・スイカ・メロンは、果物屋やスーパーの果物コーナーである。
八百屋でもスイカなど売られているが、果物屋でトマトは売られていないため、果物専門店で売られているものを「果物」として区別することも間違いではなく、最終的には大半の消費者が野菜と思っているか、果物と思っているかの違いとなる。
ちなみに、100年以上前のアメリカでは、輸入野菜に10%の税率を課すという法律が作られたため、トマトが野菜か果物かという論争が起き、最高裁判所で「トマトは野菜である」と判決が下されている。
現代の日本ではどうかといえば、税関の事項関税率で、トマトは「食用の野菜」、イチゴ・スイカ・メロンは「食用の果実」と決められている。
アヤメとカキツバタは、共にアヤメ科アヤメ属の植物で、「いずれ菖蒲か杜若」という諺もあるように見た目も似ている。
ショウブはサトイモ科で、アヤメやカキツバタと別種であるため見分けはつきやすいが、漢字では「アヤメ」と同じ「菖蒲」と書く。
また、古語で「アヤメ」といえば、「ショウブ」のことを指す。
更に、アヤメ科アヤメ属には「ハナショウブ(花菖蒲)」があり、見た目はアヤメやカキツバタと似ている。
ハナショウブは「ショウブ」とも呼ばれるため、サトイモ科のショウブと区別しにくく、アヤメの漢字表記「菖蒲」とも同じになる。
また、ハナショウブを指して「アヤメ」と呼ぶことも多い。
このように、アヤメ・ショウブ・カキツバタ・ハナショウブは、非常に混同しやすい植物である。
「菖蒲」という漢字表記や、アヤメ科の「(ハナ)ショウブ」という呼称上の類似点を除けば、この中で一番見分けやすいのは、サトイモ科のショウブである。
ショウブは、小川や池などの水辺に生え、5月頃に花を咲かせる。
花は、長剣状の葉の間につける黄緑色の小さな花で、アヤメ科の植物とは区別がつきやすい。
端午の節句に根や葉を風呂に入れて沸かす「菖蒲湯」で使われるショウブは、ハナショウブではなく、サトイモ科のショウブの方である。
アヤメとカキツバタとハナショウブは、以下の特徴から見分けられる。
アヤメは、日当たりの良い乾燥した草地に生え、高さは30~60cm。
開花時期は5月上中旬。花弁の根元に黄色の網目模様がある。
葉は細く、葉脈は目立たない。
カキツバタは、湿地に生え、高さは50~70cm。
開花時期は5月中下旬。アヤメよりも濃い紫色の花で、花弁の根元に白い細長の模様がある。
葉は幅広く、葉脈は目立たない。
ハナショウブは、主に湿地に生えるが、やや乾燥した土地でも生え、高さは80~100cm。
開花時期は5月下旬~6月。花の色や花の形は様々で、花弁の根元に黄色い細長の模様がある。
葉の中央に葉脈がくっきりと見える。
カレーのスパイスに使われる「コリアンダー」と、タイ料理に欠かせない香草の「パクチー」は、生の状態で見分けることが非常に難しい。
なぜなら、「コリアンダー」は英語、「パクチー」はタイ語というだけで、全く同じ植物だからである。
中華料理に使われる「香菜(シャンツァイ)」も同じセリ科の一年草で、和名は「コエンドロ」という。
日本には古くから入ってきているものだが、独特の芳香があり、日本の料理にはあまり使われないため、和名の「コエンドロ」で呼ばれることも少ない。
一般にも定着した呼称は、英語の「コリアンダー」で、英語圏から入ってきた料理に、乾燥した種子や葉が香辛料として使われていたためである。
その後、タイ料理を食べる機会が増えたことで、コリアンダーの葉を生食するようになったが、コリアンダーはタイ語で「パクチー」と呼ぶため、タイ料理の食材として呼ぶ時や、生の葉野菜を指す時には、「パクチー」と呼ぶようになった。
同様に、中華料理で使う時には、中国語の「香菜(シャンツァイ)」で呼ばれることもある。
つまり、コリアンダーとパクチーの違いは、英語とタイ語の違いだけで、植物としては全く同じものだが、日本では、香辛料となっているものを「コリアンダー」と呼び、生の葉野菜やタイ料理の食材として使う時には「パクチー」と呼ぶことが多いのである。
雑草とは、農耕地や庭、道路などで、食用や観賞用などの栽培目的で植えられた以外の草。
野草とは、人が管理していない土地に自然に生える草。
つまり、同じ種類の草であっても、人が管理している土地に自然と生えていれば「雑草」、人が管理していない土地であれば「野草」となり、種類によって区別できるものではない。
また、人が管理している土地に自然と生えている草でも、「雑草」ではなく「野草」と呼ばれることがある。
アスファルトに生えるタンポポは「雑草」だが、摘んで観賞用にすれば「野草」。
自生していているスミレを、邪魔と思えば「雑草」、美しいと思えば「野草」。
「勝手に生えてきた雑草」などというが、勝手なのは人間の方で、同じ種類の草でも人間の都合によって、雑草にもなり野草にもなるのである。
紫蘇(シソ)は、シソ科シソ属の植物の総称で、エゴマもシソの一種であるが、一般的には赤紫蘇や青紫蘇を指す。
赤紫蘇は、梅干しや紅しょうがの色付けなどに使われ、青紫蘇は、香味野菜として刺身のつまや天ぷら、刻んで薬味にも用いられる。
大葉と呼ばれるのは青紫蘇の葉で、大葉と青紫蘇の葉は同じものを指す。
同じものなのに「青紫蘇」と「大葉」と呼び分けられるのは、昔、青紫蘇の芽と葉を区別して販売するため、青紫蘇の葉を束ねたものを「大葉(オオバ)」という商品名で売り出したことがきっかけ。
その後、流通量が増え、「大葉」の呼称が世の中に浸透していったため、現在でも青紫蘇の葉を「大葉」として販売されているのである。
「大葉」と呼ばれるのは、食用の香味野菜として販売される時であって、植物として青紫蘇の葉を指す時には「大葉」と呼ばない。
また、青紫蘇のように葉が緑色のシソには、縮れのあるチリメンアオジソや、葉の表面が緑色で裏面が赤色のカタメンジソなどもあるが、「大葉」として販売されるのは、縮れもなく両面緑色の青紫蘇の葉である。
お店のメニューや加工食品には、「海藻サラダ」と「海草サラダ」の2通りの表記があり、一方は間違いと指摘されることも多いが、その指摘は間違いである。
海藻は「海の藻」と書く通り、海に生える藻の総称。
コンブ・ヒジキ・モズク・ワカメ・アオクサノリ・テングサ・アオサ・アオノリなどは、すべて海藻である。
海草は「海の草」と書く通り、海中に生える種子植物。
同音異義語の「海藻」と区別するため、「うみくさ」とも呼ばれる。
アマモ・スガモ・ウミヒルモなどは、「モ(藻)」と呼ばれるが海草である。
海草は陸上の植物と同様、根・茎・葉が分かれており、花を咲かせて種子によって繁殖する。
海藻は胞子によって繁殖し、根・茎・葉が分かれていないため、海草と海藻を見分ける際には、根の有無を見るとわかりやすい。
普段、食用とされるカイソウは、ワカメやヒジキなどの「海藻」。
そのため、「海藻サラダ」と書くのが正しく、「海草サラダ」と書くのは間違いと指摘されるというのが、冒頭に書いた話である。
正確なのは「海藻サラダ」で間違いないが、海藻のサラダを「海草サラダ」と書いても間違いではない。
なぜなら、広義には海藻を含む海の植物を「海草」というからである。
芭蕉もバナナも、バショウ科バショウ属に分類される大型多年草。
バナナは熱帯性のため、本州の露地では育たないが、芭蕉は熱帯を中心に分布するが、耐寒性もあるため、本州の露地でも育つ。
芭蕉はバナナとよく似た花や実をつけるが、バナナのように大きな実にならない。
追熟させることで食用になるとも言われるが、種が多く実はほとんどないため、芭蕉の実が食用に向いているとは言えない。
実の大きさよりもハッキリと見分けやすいのは、苞(花の付け根に出る葉)の色の違いと、葉の裏の色の違い。
芭蕉の苞は黄色で、バナナは一般的なものであれば紫色。
葉の裏を見て、薄い緑色をしていれば芭蕉、白っぽい粉が拭いていればバナナである。
竹も笹もイネ科タケ亜科に属する植物で、一般には、大型のものを「竹」、小型のものを「笹」と呼ぶ。
竹は「高い」や「丈」が転じたもので、笹は「ささやか」などの「ささ」からといわれ、言葉の成り立ちからすれば大きさが違いの基準となっているが、植物学では性質で分類するため、大きさだけでは区別できない。
オカメザサは小さいことから「笹」の名がつくがタケに分類され、メダケは大きいことから「竹」の名がつくがササに分類されるのも、言葉と植物学上の分類が異なるためである。
竹と笹を見分けるには、成長後の皮、葉っぱ、枝の出方を見るとよい。
成長するにつれて皮がはがれ落ち、茎の部分がツルツルしているのが「竹」、成長しても枯れるまで皮が残っているのが「笹」。
水や栄養分を運ぶ通路の役割をする葉脈が、格子状になっているものが「竹」、平行になっているものが「笹」。
茎にある節目から出ている枝の本数が、2本のものが「竹」、3本以上(5~6本)のものが「笹」である。
見分け方以外の違いでは、以下のようなものがある。
笹が寒冷地でも育つのに対し、竹は寒冷地では育たず、北海道に竹は生えていない。
北海道で「たけのこ狩り」といえば、「根曲がり竹」と呼ばれる「チシマザサ」である。
笹は日本特有の植物であるため、竹は英語で「bamboo(バンブー)」と訳されるが、笹は「sasa(ササ)」と日本語名のまま使われる。
ただし、海外のバンブーと日本の竹は、繊維質や地下茎の伸び方に違いがあり、竹とバンブーも竹と笹のように違う種類で、厳密に分ける場合、「竹」は「take(タケ)」と訳される。
一般的な大きさによる呼び分け、植物学上の分類のほか、素材を利用する場面でも呼び分けがあり、竹であっても笹であっても、茎の部分を利用したものは「竹」と呼び、葉っぱの部分を利用したものは「笹」と呼ばれる。
木も草も、光合成によって成長する植物。
一般に、木は大きく高く育ち、草は小さく低く育つというイメージもあるが、大きくならない木もあれば、大きく育つ草もあり、大きさで区別することはできない。
生物学では、形成層の有無によって木(木本)と、草(草本)を区別している。
木の樹皮の内側には、薄い形成層と呼ばれる組織があり、形成層が成長して幹が年々太くなるのに対し、草は形成層がなく、ある程度成長すると茎(木の幹に相当する部分)は太くならなくなる。
ただし、竹は幹に相当する部分が空洞で形成層が存在しないため、数カ月で太くならなくなるが、例外的に「木(木本)」に分類されている。
竹博士として知られる上田弘一郎京大名誉教授が、「竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だ」と言っているように、本来は「木」と「草」だけに分類できるものではなく、「例外」という言い訳が存在する。
植物学では、竹に限らず、木と草に本質的な違いはないとしている。
一般には「花」を使い、「華」はきらびやかなもの、美しいもの、すぐれた性質の比喩に多く使われる。
「花を添える」や「花を持たせる」のように、比喩表現に花が使われることもあるが、美しさや明るさを加えるという意味の「花を添える」は、美しい花が添えられた状態にたとえたもの。
相手を立てる、相手に名誉や栄光を譲るという意味の「花を持たせる」は、花を贈呈される立場にするというたとえで、花そのものに「きらびやか」「すぐれた」という意味は含まれておらず、植物の花を使った状態からの比喩である。
華には、「華美(はなやかで美しいこと)」「豪華(贅沢ではなやかなこと)」「精華(すぐれていてはなやかなこと)」など、華のみで「はなやか」「すぐれた」という意味を表す言葉が多く、「花のように盛んではなやか」という比喩が、華に含まれていることがわかる。
「はなやか」という言葉も、一般的には「華やか」や「華々しい」が用いられる。
「はながある」という場合には「花」も「華」も用いるが、「華がある」であれば「華やかさ」「華々しさ」を表し、「花がある」であれば「植物の花が存在する」という意味になる。
トナカイは、アイヌ語の「tunakkay(トゥナカイ)」、もしくは「tunaxkay(トゥナッカイ)」を語源とする和名。
漢字では「馴鹿」と書き、「じゅんろく」とも読む。
カリブーは、北米先住民が野生のトナカイを指す言葉に由来する英名の「caribou」。
そのため、トナカイとカリブーの違いは、日本語と英語の違いと言えそうだが、トナカイが必ずしもカリブーとは限らないのである。
トナカイを意味する英語には「reindeer(レインディア)」もある。
北アメリカ産のトナカイが「カリブー」と呼ばれ、ヨーロッパ産のトナカイが「レインディア」と呼ばれている。
つまり、トナカイは日本語で、北アメリカ産のカリブーとヨーロッパ産のレインディアの総合的な呼称。
カリブーは英語で、北アメリカ産のトナカイのみを表す呼称である。
ウニは、食べられる部分(生殖巣)が「胆(肝)」のように見えることから、海の胆で「海胆」と書く。
また、全身がトゲで覆われていることから、海の栗で「海栗」とも書く。
食品として販売される時には、生殖巣だけを取り出した生のウニを「海胆」、トゲが付いた状態のものを「海栗」と書き分けることもあるが、多くの場合は「海胆」が使われる。
生物として表す場合は、「海胆」も「海栗」も使われる。
食品としてのウニを表す漢字には「雲丹」もある。
「丹」の字には「赤い」という意味があり、赤い雲のようなものという意味で、「雲丹」という漢字が当てられた。
この漢字は、塩漬けされたウニを表したものであるため、塩やアルコールや加工されたウニを表すのが普通だが、最近はトゲや内臓などを取り除き、食べられる部分だけにしたウニにも、「雲丹」の漢字が当てられていることもある。
シロサイとクロサイは、名前からして体色で区別できそうに思えるが、名前の由来は体色と全く関係なく、誤解から生まれたもの。
シロサイの体色はグレー、クロサイの体色はグレーか灰褐色で、両者を色で見分けることはできない。
シロサイの名前は、口が幅広いことに由来する。
シロサイは、現地アフリカーンス語で「wijde(幅広い)」と呼ばれおり、これが英語に訳された時に「white(白い)」と間違えられ、「White rhinoceros(シロサイ)」と名付けられた。
クロサイは、シロサイと区別するために、白の対照となる黒を使って、「Black rhinoceros(クロサイ)」と名付けられただけである。
シロサイとクロサイの見分け方のひとつに、名前の由来となる口の幅がある。
シロサイは、幅が広く四角い口をしており、地面に生える草を食べるのに適した形をしている。
クロサイは、尖った口をしており、葉や小枝、果実を摘まみ取って食べるのに適した形をしている。
シロサイとクロサイの決定的な違いは大きさで、シロサイの体長は3.3~4.2m、体重はオスが2,000~3,600kg、メスが1,400~1,700 kgトンと、サイの中では最大である。
クロサイは、体長が2.8~2.9m、体重はオスが350~1,300kgで、クロサイはメスのシロサイよりも小さい。
赤身魚は、身(肉)の色が赤い魚のことで、味が濃く、肉質は硬めで、鉄分を多く含む。
白身魚は、身の色が白い魚のことで、淡白な味で、ほぐれやすく、低カロリーで消化にも良い。
赤身魚の身が赤い理由は、筋肉色素タンパク質の「ミオグロビン」や、血液色素タンパク質の「ヘモグロビン」といった赤い色素が多く含まれるためである。
水産学では、このヘモグロビンとミオグロビンの含有量によって、赤身魚と白身魚を分類し、100gあたり10mg以上のものを「赤身魚」、それ以下のものを「白身魚」と呼んでいる。
赤身魚の代表的な魚は、カツオ・マグロ・ブリ・アジ・イワシ・サンマ・サバなどで、大量の酸素を必要とする持久力の高い回遊魚に多い。
これは、ヘモグロビンに酸素を運搬する役割、ミオグロビンに酸素を供給する役割があるためである。
一方の白身魚は、タイ・タラ・ヒラメ・カレイ・フグ・アナゴといった、大量の酸素は必要としないが、瞬発力を必要とする沿岸魚や深海魚に多い。
サケは身の色が赤く回遊魚であるため、赤身魚と思われがちだが、白身魚である。
サケの身が赤く見えるのは、カニやエビなどの殻が赤い理由と同じで、カロチノイド系の赤い色素「アスタキサンチン」を含む「オキアミ」を餌としているためである。
青魚は、赤身魚や白身魚のように身の色ではなく、背の色によって分類したもので、青魚に対するのは「赤魚」である。
代表的な青魚は、アジ・イワシ・サバ・サンマ・ニシンなど。
青魚には、DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)が多く含まれるため、血中の悪玉コレステロールを減少させる効果があるといわれる。
エビを「海老」と表記するのは、長い髭と曲がった腰が老人のように見えることからの当て字で、日本で作られた。
「蝦」は中国から伝わった漢字で、仮面や外皮をかぶる意味の「叚」と、古くは動物の総称であった「虫」からなる。
海老と蝦の使い分け方は、移動の仕方で区別されている。
エビには、イセエビやロブスターのように大型で砂地に生息して海底を歩く種と、クルマエビやサクラエビのように中・小型で海中を泳ぐ種がある。
そのうち、歩行型のエビには「海老」、遊泳型のエビには「蝦」の漢字が使われる。
ただし、この使い分け方は厳格に決まっているものではなく、日本では「蝦」よりも「海老」の表記が一般的であるため、クルマエビやサクラエビなども、「車蝦」「桜蝦」ではなく、「車海老」「桜海老」と書かれることが多い。
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ダックスフントとダックスフンドは、どっちが正しくどっちが間違いということはなく、どちらも正しい。
ドイツ原産の犬種で、「Dachshund」と表記する。
これをドイツ語読みでは「ダックスフント」と「d」は濁らないが、英語読みになると「ダックスフンド」と「d」が濁る。
つまり、ドイツ語読みと英語読みで、ダックスフントとダックスフンドの違いが生じているのである。
犬の品種認定や犬種基準の指定などを行っている「ジャパンケネルクラブ(JKC)」では、英語読みの「ダックスフンド」で登録していることや、日本人の発音の癖では「ダックスフンド」の方が言いやすいため、「ダックスフンド」と呼ぶ人が多い。
しかし、原産国の発音に従えば「ダックスフント」となるため、愛好家の間では「ダックスフント」と呼ぶ人も多く、国語辞典や新聞記事でも「ダックスフント」の表記が使われている。
アシカとアザラシとセイウチは、いずれもヒレのような脚を持っていることから「鰭脚類(鰭脚目)」に分類される海生哺乳類である。
同じ鰭脚類でも、アシカはアシカ科、アザラシはアザラシ科、セイウチはセイウチ科で、下位分類では別の種族に属している。
アシカ科には、オットセイ・トド・オタリアなども含まれる。
鰭脚類の中でも、セイウチには大きな牙があるため、アシカやアザラシと見分けやすい。
牙の長さは、メスで20~40cm、オスは30~100cmある。
また、アシカやアザラシの毛皮は硬い剛毛だが、セイウチはまばらな剛毛があるものの、成熟すると毛がなくなる。
アシカとアザラシは一見似ているが、異なる点がいくつかあり、さほど見分けることは難しくない。
アシカには小さな耳殻(耳たぶ)があるが、アザラシには耳殻がなく、小さな孔が開いているだけである。
アシカの前脚は長いヒレ状だが、アザラシの前脚は短く五本指があり、手のような形をしている。
アシカは前後の脚で体を支える力があるが、アザラシは前脚で体を支えることができないため、陸上で上体起こしていればアシカである。
アシカは陸上を歩行する際、後脚を前に折り曲げ、前後の脚を使って前進するが、アザラシの脚は基本的に水中を泳ぐためのもので、後脚は後方に向いているため、前脚だけを使い腹這い状態で陸上を前進する。
アシカの泳ぎ方は、前脚を使い鳥が羽ばたくような動作で泳ぐが、アザラシは魚が尾びれを振って泳ぐように後脚を振って泳ぐ。
海牛目(かいぎゅうもく)もしくはジュゴン目に分類される海生哺乳動物は、ジュゴン科とマナティー科の2科に分かれる。
両者は一見すると似ているが、見分け方はそれほど難しくない。
ジュゴンとマナティーの違いを一目で見分ける方法は、尾びれの形を見るこである。
ジュゴンの尾びれはイルカのように三角形で、マナティーの尾びれは丸みを帯び、うちわに似た形をしている。
その他、ジュゴンとマナティーを見分けるポイントは、下記のように何点かある。
ジュゴンは海底に生える海草を食べるため、口が下向きになっているが、マナティーは海面に浮く水草を食べるため、ジュゴンほど口は下向きになっていない。
ジュゴンに爪はないが、マナティーには爪がある。
マナティーは象と同じ先祖から進化したといわれ、爪があるのはその名残りと考えられている。
ジュゴンもマナティーも、水中生活に適応するため前肢がヒレになっているが、長さや肘の有無に違いがある。
ジュゴンの上腕は体内にあるため、ヒレは短く肘もないが、マナティーのヒレは長く肘がある。
少し分かりづらいが、ジュゴンの皮膚は滑らかなのに対し、マナティーの皮膚は硬くてザラザラしている。
また、マナティーは、皮膚に苔が生えていたり、フジツボが付着しているものも多い。
ジュゴンには牙があり、マナティーには牙がない。
ただし、ジュゴンの牙は歯肉に埋もれているため、牙によってジュゴンとマナティーを見分けることは難しい。
ジュゴンとマナティーは生息地にも違いがあり、ジュゴンは紅海・インド洋からオーストラリア北部に至る浅海に生息し、日本では沖縄に生息する。
マナティーは、大西洋沿岸や周辺の河川や河口、湖などに生息する。
鷹(タカ)と鷲(ワシ)と鳶(トビ・トンビ)は、全てタカ目タカ科の鳥で、見分け方が難しい。
一般的な分類としては、タカ科の中で比較的大きく、尾は短く、足が太い種類を「鷲」。
比較的小さく、足と尾が長く、翼が丸い種類を「鷹」と呼んでいる。
鷹の全長は50~60cmぐらい、鷲の全長は80~100cmぐらいが目安となる。
しかし、鷹と鷲を区別する際の大きさは、あくまでも目安で、鷲に分類されるカンムリワシは、全長55cm、翼開長約140cmと小さく、鷹に分類クマタカは、全長約75~80cm、翼開長約140~160cmと大きい。
ちなみに、鷹は英語で「hawk」、鷲は「eagle」だが、クマタカは「Mountain Hawk-Eagle」である。
鳶の大きさは鷹ぐらいだが、一番大きな特徴は、「ピーヒョロロロ」と鳴き、羽ばたかずに輪を描くように飛ぶことである。
鷹や鷲は多く生きた動物を捕食するのに対し、鳶は小動物や魚の死骸などを食べ、市街地に棲んでゴミも漁るため、「町の掃除屋」といった異名もある。
そのため、同じタカ科でも、鷹や鷲は高貴な印象、鳶は格下で意地汚い印象を持たれている。
フクロウもミミズクも、クロウ目フクロウ科の鳥で、生物学的には同じ種別である。
一般には、羽角のある種を総称して「ミミズク」と呼び、ミミズクを除くものを総称して「フクロウ」と呼ぶ。
羽角は頭の左右にある一対の羽毛の束で、耳のように見えることから、耳があるのが「ミミズク」、耳がないのが「フクロウ」という言い方もされる。
基本的には、羽角(耳)の有無で区別できるが、中には区別できないものもいる。
ワシミミズクやコノハズクなど、ミミズクと呼ばれる鳥の名前には「ズク」が付くが、アオバズクは「ズク」が付いていても羽角がない。
シマフクロウは、「フクロウ」の名が付いていても羽角がある。
英語でフクロウは「owl」、ミミズクは「horned owl(角のあるフクロウ)」や「eared owl(耳付きのフクロウ)」という。
しかし、個別の種を表す英名では、「Short-eared Owl(コミミズク)」のように、ミミズクを表す語を含むものもいれば、「Eurasian Eagle Owl(ワシミミズク))」のように、ミミズクを表す語を含まないものもいる。
トナカイもシカ科の動物で鹿の仲間に違いはないが、トナカイ1種のみのトナカイ属に分類される。
鹿とトナカイの違いは、角の生え方にある。
鹿は基本的にオスのみ角が生えるが、シカ科の中でもトナカイだけはオス・メス共に角が生える。
オスの角は春に生えて秋から冬に抜け落ち、メスの角は冬に生えて春から夏に抜け落ちるため、サンタクロースを乗せたソリをひくトナカイはメスといわれる。
しかし、サンタクロースのトナカイには名前や性別の設定があり、先頭から順番に、赤鼻のルドルフ(雄)・ダッシャー(雄)・ダンサー(雌)・プランサー(雌)・ヴィクセン(雌)・ドンダー(雄)・ブリッツェン(雄)・キューピッド(雄)・コメット(雄)で、ダンサー・プランサー・ヴィクセン以外は全てオスのトナカイである。
去勢されたオスは冬でも角が抜け落ちないため、サンタクロースの話に出てくるオスのトナカイは、去勢されているという説もある。
一般に流通しているズワイガニには、ズワイガニ(別名:本ズワイガニ)・オオズワイガニ・ベニズワイガニがあり、ズワイガニ(本ズワイガニ)が最も一般的である。
松葉ガニや越前ガニは、そのズワイガニ(本ズワイガニ)を水揚げ産地によって呼び分けた名前で、種類としてはズワイガニであることに違いはない。
松葉ガニは、山陰地方の京都府から島根県の漁港で水揚げされるズワイガニ。
越前ガニは、越前地方(福井県)の漁港で水揚げされるズワイガニである。
ズワイガニの別名で特に有名なのが、松葉ガニと越前ガニだが、その他、石川県の加賀・能登地方で水揚げされる加能ガニ、北海道で水揚げされる北海松葉ガニ、山形県の庄内地方で水揚げされるヨシガニといった別名もある。
また、最近は漁港ごとで差別化(ブランド化)をはかるために、松葉ガニの中でも呼び名が細分化されており、間人ガニ(たいざガニ)・柴山ガニ・津居山ガニ・大善ガニという名で売り出しているところもある。
ズワイガニはオスとメスで大きさがかなり違うため、多くの漁港では性別でも違う名前が付けられており、オスには上記のような、松葉ガニ・越前ガニ・香住ガニ・間人ガニなど、メスにはメガニ・オヤガニ・コッペガニ・コウバコガニ・セコガニ・セイコガニ・クロコといった名前が付けられている。
なお、標準和名としての「マツバガニ(松葉蟹)」は、ズワイガニ(ケセンガニ科)とは異なるオウギガニ科の名前である。
しかし、ズワイガニの別名として使われることが一般的で、「松葉ガニ」と呼べば「ズワイガニ」を指す。
うなぎもあなごも、同じウナギ目に属するが、うなぎはウナギ科、あなごはアナゴ科の魚で、生態・見た目・栄養・味にも違いがある。
うなぎとあなごの生態の違い。
あなごは一生を海で過ごす海水魚だが、うなぎは海で産卵し、孵化した後に淡水域に遡上し、河川や湖沼で成長する降河性の回遊魚である。
うなぎとあなごの見た目の違い。
うなぎは黒に近い灰色、あなごは薄茶色で側面に白い斑点があり、背びれの下にも白い点が一列に並んでいる。
うなぎは下あごが出ているが、あなごは上あごが出ている。
うなぎの尾びれは丸みがあるが、あなごの尾びれは尖っている。
うなぎとあなごの栄養成分と味の違い。
うなぎはあなごの倍近い脂質を含んでいるため、うなぎの方がカロリーが高く、脂っぽくてこってりとした味だが、あなごは低カロリーでさっぱりとした味である。
あなごは魚の中でもレチノール(ビタミンA)を多く含む方だが、うなぎはその5倍近く含んでいる。
その他、ビタミンB1・B2・D・E、カルシウム、血液中のコレステロ-ルを減少させるEPAや、脳を活性化させるDHAなども、うなぎの方が多く含んでおり、栄養価が高い。
昔から、「左ヒラメに右カレイ」と言われる。
眼を上に向けて置いた時、頭が左向きになるのが「ヒラメ(平目・鮃)」、右向きになるのが「カレイ(鰈)」という意味である。
日本で見られるヒラメやカレイの多くは、この「左ヒラメに右カレイ」で見分けることが出来るが、海外では左に眼がついたカレイも多い。
ボウズガレイは眼の位置が決まっておらず、左と右が同じ頻度で出現し、日本でも、マヌガレイは左に眼がついているため、「左ヒラメに右カレイ」の見分け方は決定的ではない。
一般的にヒラメの成魚は体長80cm前後、カレイは40cm前後で、「ヒラメはカレイよりも大きい」と言われる。
しかし、カレイの仲間のオヒョウは大きなもので体長2m以上、体重200kg以上になり、カンゾウヒラメは体長25cm前後で、大きさによる見分け方も決定的ではない。
ヒラメとカレイの決定的な違いは、口の大きさと形である。
ヒラメは、小魚やエビなどを食べるため、アゴがしっかりしていて、歯は鋭く尖り、口が大きく裂けていて、獰猛な顔をしている。
カレイは、砂の中にいるゴカイやイソメ類を主食としているため、歯や口は小さく、おちょぼ口に見える。
イモリは、カエルやサンショウウオなどと同じ両生類で、おもに水中を中心に生息し、陸上生活も行う。
前肢の指は4本、後肢の指は5本で、水中を泳ぐため、尾はヒレ状になっている。
背面が黒く、腹面が赤色に黒い斑点があるのが特徴で、フグと同じテトロドトキシンという毒を持っているため、腹の色は他の動物に毒を持っていることを知らせる警戒色といわれる。
動きは概して遅く鈍い。
トカゲ(トカゲ科)は外敵から身を守るため、自ら尻尾を切り再生させる機能を持つことで知られるが、イモリはそれに加えて、骨まで完全に再生する機能を持ち、再生能力の面ではイモリの方が優れている。
ヤモリ・トカゲ・カナヘビは爬虫類で、陸上に生息する。
ヤモリもカナヘビもトカゲの一種であるため、トカゲに関しては他と区別するため「ニホントカゲ」のこととする。
ヤモリは、民家やその周辺に生息する。
前後ともに肢の指は5本で、指先に無数の毛が生えており、これが吸盤の役目をして壁や天井などに張り付くことができる。
日本で「ヤモリ」と呼ばれる「ニホンヤモリ」は、背面が灰色や褐色で、全身に鱗が散在する。
トカゲは、草原や山地などの日当たりのよい場所に多く生息する。
褐色で縦縞が入っており、見た目や触った時の感触はツルツルしている。
目の上に骨があり、そこが張り出して大きく膨らんでいる。
カナヘビは、平地や丘陵地帯の草原や川原に多く生息する。
灰褐色で腹面は黄白色もしくは白色で、側面に帯状の斑紋があり、感触はザラザラしている。
関東地方では、カナヘビを指して「トカゲ」と呼ぶことが多い。
蝶は昼行性で昼に飛び、蛾は夜行性で夜に飛ぶといわれるが、夜に飛ぶ蝶もいれば、昼に飛ぶ蛾もいる。
蛾は茶色を保護色とするものが多いことや、夜行性で派手な模様になる必要がないため、蝶は美しく、蛾は醜いというイメージもあるが、昼行性の蛾の中には、蝶よりも美しいと思えるものも多く存在する。
蝶は胴体が細く、蛾は胴体が太いといわれるが、胴体が太い蝶もいれば、胴体の細い蛾もいる。
蝶は羽をたたんでとまり、蛾は羽を広げてとまるといわれるが、蝶の中にも羽を広げてとまるものが多く存在し、蛾の中にも羽を広げずにとまるものもいる。
蝶の触角は先がふくらんだこん棒状で、蛾の触角は糸状・櫛状・羽毛状など様々。
蝶と同じ形の触角を持つ蛾もいる。
上記のとおり、よくいわれる違いも「日本に生息する蝶と蛾の一般的な違い」をいったもので、例外が多く、明確に区別することは難しい。
そもそも、「蝶」と「蛾」は同じ「鱗翅目の昆虫」で、生物分類学上でも区別されていない。
また、日本語や英語では「蝶(butterfly)」と「蛾(moth)」を区別しているが、フランス語やドイツ語など多くの言語では、「蝶」と「蛾」の区別はなく、ひとつの言葉で言い表されている。
「カンガルー」と「ワラビー」は、どちらもカンガルー科に分類される有袋類の動物です。 この二つの生物は次のような違いがあります。
カンガルーとは
有袋類、カンガルー目、カンガルー科で比較的大型の生物。
ワラビーとは
有袋類、カンガルー目、カンガルー科で比較的小型の生物。
「カンガルー」と「ワラビー」は平均的な大きさで区別されているに過ぎません。 また、「カンガルー」と「ワラビー」の中間程の大きさを「ワラルー」と分類することもあり、これら3種に生物学上の明確な違いはありません。
要するに!
・「カンガルー」→カンガルー科の有袋類で大型の生物。
・「ワラビー」→カンガルー科の有袋類で小型の生物。
地面を這ったり、壁に引っ付いて虫を食べるトカゲのような生き物、「ヤモリ」と「イモリ」。 この二つの生物の違いを明確に説明できる人は少ないのではないでしょうか? 「イモリ」と「ヤモリ」には次のような違いがあります。
ヤモリとは
ヤモリはトカゲと同じ爬虫類(はちゅうるい)の仲間です。家屋にいる害虫を食べてくれる事から、「家を守る」→「家守(やもり)」と名付けられました。
ヤモリとは
イモリはカエルと同じ両生類の仲間で、カエルと同じように水辺にも生息しています。井戸など水場の害虫を食べてくれることから「井守(いもり)」と呼ばれたという説があります。
「水辺に生息している」「お腹が赤い」という特徴でヤモリと見分けることが出来ます。
要するに!
・「ヤモリ」→家守、家を守る爬虫類。
・「イモリ」→井守、井戸を守る両生類、お腹が赤い。
「フクロウ(梟)」と「ミミズク」と言う鳥は、大変よく似ています。実は、どちらもフクロウ目フクロウ科フクロウ属に分類される猛禽類で、 生物学的な違いはありません。しかし、「フクロウ」と「ミミズク」は外見に次のような違いがあります。
フクロウとは
フクロウ目フクロウ科フクロウ属に分類される猛禽類の総称です。人が好きではなく夜行性なので見かけることはほとんどありません。
ミミズクとは
ミミズクの「ズク」は「フクロウ」という意味があり、ミミのあるフクロウがミミズクの語源です。 猫のようにピンっと張った耳を持っているのが特徴ですが、この耳は聴覚機能はなく羽角(うかく)という擬態のために備わった飾りです。
要するに!
・「フクロウ」→クロウ目フクロウ科フクロウ属の猛禽類
・「ミミズク」→耳のような羽角を持つフクロウ
「蛾(が)」と「蝶(ちょう)」同じ「鱗翅目」と呼ばれる昆虫で本来は明確な区別はありません。 鱗翅目には様々な種類があるため、日本ではその生態や、見た目等でなんとなく「蛾」と「蝶」という名称を区別して使います。 明確な区別ではありませんが、概ね次のような特徴で「蛾」と「蝶」を分類できます。
蛾とは
・夜行性 ・色が地味 ・触覚が尖っている
蝶とは
・昼間活動している ・色が鮮やか ・触覚が棍棒状
要するに!
・「蛾」→夜行性で地味
・「蝶」→昼間活動し鮮やかな色
カレイとヒラメは同じカレイ目の魚で、似たような見た目をしています。 この2つ見分け方として「左ヒラメに右カレイ」というの有名ですが、世界にはヌマガレイという左に顔がある種類のカレイも存在します。 日本では「左ヒラメに右カレイ」でほぼ見分けることが可能ですが、他の見分け方も覚えておくよ良いかもしれません。
カレイとは
お腹を手前に置いて右側に顔があるのがカレイですが、この他にも口に特徴があります。 カレイのは、おちょぼ口でやさしい顔をしています。またヒラメよりもカレイの歯は小さいという特徴があります。
ヒラメとは
お腹を手前に置いて左に顔があるのがヒラメですが、このほかにも口に特徴があります。 ヒラメは口が裂けやや怖い顔をしています。またカレイより歯が大きく尖っているのが特徴です。。
要するに!
・「カレイ」→お腹を手前に置いて右側に顔がある
・「ヒラメ」→お腹を手前に置いて左側に顔がある
梅雨時期など湿気の多い季節に見られるカタツムリ、カラをまとったその可愛い姿から、「デンデンムシ」という相性で呼ばれることもあります。 しかし、同じような容姿でありながら皆に嫌われる存在それがナメクジです。カラが無いだけでなぜここまで嫌われているのでしょう? それは、謎ですがナメクジとカタツムリには次のような違いがあります。
カタツムリとは
「カタツムリ」というのは日常語であって生物学的な分類ではありません。陸地に生息する腹足類のうち、殻を持っているものを「カタツムリ」と呼びます。 触角の先に目を持っていて、球型や饅頭型の殻を持っているものを指すことが多いようです。貝の一種ですので食用として食べる文化を持つ国もあります。
ナメクジとは
概ね「カタツムリ」と同じですが、殻を持っていません。「ナメクジ」は「カタツムリ」が殻を失うという進化をしたと言われています。 この進化のおかげで、ナメクジは狭い場所にも行くことが出来ます。そのせいで、「カタツムリ」より行動範囲が広く家の中などにも入ってきます。 因みに、「カタツムリ」を食用とされることがありますが、「ナメクジ」は何故か美味しくないようで、食べる文化はほとんどありません。
要するに!
・「カタツムリ」→陸地に生息する腹足類のうち殻を持っているもの
・「ナメクジ」→陸地に生息する腹足類のうち殻が無くなったもの
鷹(タカ)と鷲(ワシ)と鳶(トビ)は(※以降カタカナで記載)生物学上は全て同じ、タカ目タカ科の猛禽類です。 また、鳶(トビ)は別名トンビ言われる事があります。これら3種の鳥は形状がほとんど同じであるため、見分けがつきにくいですが、大きさや模様などで分別されています。 模様は種類により異なりますので、大きさで見分けるのが良い方法かもしれません。
タカとは
タカ目タカ科の中で小さめものがタカです。全長50?60cm、翼開長約100-130cmのオオタカ、全長75?80cm、翼開長約160?170cmのクマタカなどの種類が「タカ」とされています。
ワシとは
タカ目タカ科の中で大きいものがワシです。全長88?120cm、翼開長約220?250cmのオオワシ、全長75?95cm、翼開長約168?220cmのイヌワシなど種類が「ワシ」とされています。
トビとは
トビ(トンビ)はタカよりも、さらに一回り小さく、「ピーヒョロロロ」と鳴いて、輪を描くように飛ぶのが特徴です。 羽に白い斑点があり、尾羽が扇形をしています。。
要するに!
・「タカ」→タカ目タカ科の中で小さめもの
・「ワシ」→タカ目タカ科の中で大きいものが
・「トビ」→タカよりもさらに一回り小さく「ピーヒョロロロ」と鳴く
まず、イルカとクジラの違いと聞いて、「え、全然違うんじゃない?」と思われるた方もいらっしゃるでしょう。実は、イルカとクジラは同じ哺乳類の、クジラ目分類される生き物です。 そして、イルカとクジラは次のように分類されています。
イルカとは
クジラ目の中のハクジラ亜目のうち小型のものがイルカです。「ハクジラ」と言われる通り口に歯があります。小型大型の基準は少し曖昧で、3メートル若しくは、4?5メートルをイルカとしてます。
クジラとは
哺乳類のクジラ目に分類される生き物の総称です。つまりイルカもクジラの仲間と言えますが、一般的にはクジラとイルカは区別されていることが多いようです。
要するに!
・「イルカ」→口に歯があるクジラのうち概ね5メートル以内のもの
・「クジラ」→イルカ以外のクジラ目
オウムとインコという2種類の鳥の見分け方、知っていないとわからなくなってしまいますよね。 実はオウムとインコにはパッと見てすぐわかる次のような違いがあります。
オウムとは
オウム目オウム科に属する鳥で、現在21種類に分類されています。体長は30?60cmで「インコ」より大きいのが特徴です。 最も際立っているのは、冠羽と呼ばれる飾り羽が頭に持っていることで、これにより「オウム」か「インコ」かを見分けることが出来ます。
インコとは
インコ科に属する鳥の総称で、現在約330種類ほどに分類されています。「オウム」より小さ目で群れではなく、つがいで生活しているのが特徴です。
因みに日本名「オカメインコ」と呼ばれる鳥は、頭に冠羽を持っていますので、生物学上は「オウム」に分類されます。
要するに!
・「オウム」→、冠羽と呼ばれる飾り羽が頭に持っているもの
・「インコ」→、冠羽と呼ばれる飾り羽が頭に持っていないもの
華麗に空中を滑空する小動物といば、モモンガとムササビです。この2種類の動物は、同じリス科に属する哺乳類ですが次のような違いがあります。
モモンガとは
体長15?20センチ、体重150?200グラム程度で、ムササビよりも小さいのが特徴です。飛膜とよばれる滑空するための皮膚は前足と後ろ足の間にだけについていて、 およそ20?30メートル飛行することが出来ます。ムササビと区別するには、飛膜を拡げた時の大きさがハンカチ程度と覚えておくと良いかもしれません。
ムササビとは
体長25?50センチ、体重400?1300グラム程度あり、モモンガより大きいのが特徴です。前足と後ろ足の間のほかに首と前足の間、後ろ足と尾の間にも皮膜がついていて 100メートルもの滑空が可能です。飛膜を拡げた時の大きさは座布団程度と覚えておきましょう。
因みに日本名「オカメインコ」と呼ばれる鳥は、頭に冠羽を持っていますので、生物学上は「オウム」に分類されます。
要するに!
・「モモンガ」→体長15?20センチで飛ぶとハンカチぐらい
・「ムササビ」→体長25?50センチで飛ぶと座布団ぐらい
ペットとして飼われている小動物の代表と言えば、ハムスター。しかしこれと似た動物にモルモットと呼ばれる種類もあります。 ハムスターやモルモットが大好きで、飼っている人はなら「全然別もの。見間違えるわけない。」と思うかもしれませんが、きちんと見分けられる人は意外と少ないようです。
ハムスターとは
キヌゲネズミ亜科に属する齧歯類の24種の総称です。ハムスターは手乗りサイズ、平均体重は概ね100グラム以下で、モルモットより小ぶりです。 モルモットとの最も大きな違いは短いしっぽがあることでこれによって見分けることが出来ます。
ムササビとは
テンジクネズミ属の一種で、学名はギニー・ピッグといいます。ハムスターより大きく体重1キロ程度まで成長します。またモルモットには尻尾がありません。 またモルモットは基本的に草食でハムスターのように昆虫を食べることはありません。
要するに!
・「ハムスター」→手のりサイズで、小さな尻尾がある
・「モルモット」→膝のりサイズで、尻尾が無い
亀(カメ)の仲間には、主に陸や川などに生息するリクガメと、海に生息するウミガメ呼ばれるものがいます。 どちらも亀目に分類される爬虫類で、生物学的にきちんと分類されているわけでく、海に生息する大型のカメをウミガメと総して呼んでいるに過ぎません。
しかし、ウミガメと呼ばれるカメにはリクガメとは違う特徴も見られます。
リクガメとは
主に陸上に生息するカメで、陸上動物のように手足に爪を持っています。 一部の種類を除いて、四肢を甲羅にしまうことができます。
ウミガメとは
海に生息する大型のカメの総称です。足の形状はリグガメと違いヒレのようになっています。また四肢を甲羅にしまうことができません。 産卵の時は海から上がり地上で行います。
要するに!
・「リクガメ」→手足に爪がある。
・「ウミガメ」→手足がヒレのようになっている。
筆者には子供の頃、近所の空き地に「馬がいる!」って言ったら、母に「あれはポニーよ!」と言われた記憶があります。 「馬とポニーってどこが違うのだろう?」と思ったことがある人は結構多いのではないでしょうか?なんとなく小さいのが「ポニー」と覚えている人も多いと思います。
馬とポニーは特に種類として違いがあるわけではありませんが、次のように分けられています。
馬とは
ウマ目のウマ科に属する動物の総称です。一般的には、柄が明確に違うシマウマや、尻尾の形状などが異なるロバ等は馬とは分けて考えられていますが、生物学上はシマウマやロバの仲間も含みます。
ポニーとは
ウマ目のウマ科に属する動物のうち、背の高さが147センチメートル以下のものをポニーと言います。種類としての違いや遺伝的な要素はなく、両親がポニーでもその子供が147センチ以上になれば馬とされます。
要するに!
・「馬」→ウマ目のウマ科に属する動物の総称
・「ポニー」→背の高さが147センチメートル以下の馬
自然と天然は、どちらも人の手が加わっていないもののことだが、人為的でない意味が強いのは自然よりも天然である。
自然には「独りでに」「自ずから」という意味があり、人の手が加わったものを除いた全てを表す。
天然は、自然のままであることや、本来のままであることをいい、人の手が加わっていない状態を表す。
人工的に作られた「化学繊維」や「合成繊維」に対し、人工的に作られたものではない繊維は「自然繊維」とは言わず「天然繊維」と言う。
人工的に繁殖させた魚を「養殖魚」と言うのに対し、自然の中で繁殖した魚は「自然魚」とは言わず「天然魚」と言う。
このように、自然よりも天然の方が、人の手が加わっていないという意味が強く、人の力で作ることができるものとの対比で使われることが多い。
自然は、海・湖・川・山・草・木など、人為によらずに存在するものや、そこに生きる動物、雨や風などの天候、地球や宇宙など表す範囲が広く、人為的でないというよりも、人がどうこうする以前から元々存在するものという意味が強い。
自然よりも天然の方が、人の手が加わっていることとの対比に多く用いられるため、天然の対義語には「人工」「人造」「養殖」など多くの対義語があるが、自然の対義語は「人工」ぐらいである。
森」は「木」を3つ組み合わせた漢字で、本来は樹木が沢山生えている”様子”を表したが、日本では樹木が生い茂った”場所”を表すようになった。
「杜」は「杜の鎮守」というように、神社のある地の木立ちの意味で使い、神秘的な雰囲気のある森を表すこともある。
「杜」の字は、本来、「ヤマナシ」という植物や、その果実を指す言葉であった。
「(門などを)閉ざす・閉じる」という意味もあったが、「もり」という意味はない。
「杜」が「もり」と読まれるようになったのは、植物を表す漢字であることと、「社(やしろ)」と漢字が似ていることから、神社の周りに広がる樹木が沢山生えている場所を「杜(もり)」と表すようになり、現在のような意味で使われるようになったと考えられている。
仙台市は「杜の都・仙台」と呼ばれ、現在では「杜」の一字で仙台市をイメージする人も多くなっている。
しかし、1909年(明治42年)には「森の都」と記されており、初めて「杜の都」と記されたのは1916年(大正5年)のこと。
仙台市が正式に「杜の都」としたのは、1970年(昭和45年)のことである。
仙台市が「杜の都」とした理由は、山などに自然に生えている樹木や草花だけではなく、そのまちに暮らす人々が協力し合い、長い年月をかけて育ててきた豊かな緑のことを表すとしている。
つまり、仙台市の「杜の都」で表す「杜」は、神社の木立ちを表した「杜」ではなく、自然に生えている樹木の「森」と区別するための「杜」ということである。
土は、岩石が分解して粗い粉状になったもの。
生物の死骸や、腐植物、微生物なども含んでいう。
泥は、粘り気のある液状のものをいう「どろどろ」が語源で、水が混じって軟らかくなった土のことをいう。
泥土(ういじ・でいど・どろつち)は、水に溶けた土を表す言葉で、「泥」のことである。
つまり、水分を含んで軟らかい土は、「土」でもあり「泥」や「泥土」でもあるが、乾燥して硬い土は、「土」ではあるが「泥」や「泥土」ではないという違いだけで、物質的に大きな違いがある訳ではない。
「土」「泥」「泥土」を言葉(単語)として見た場合、土は「土壌」「大地」「地面」「陸地」「容貌の醜いこと」の意味、泥は「泥棒」の略、泥土は「つまらないもの」「けがれたもの」などの意味で使われるという違いがある。
池と沼と湖と泉と沢と潟のうち、明らかに他と違うのは「泉」である。
泉は、「出づ水」が語源であるように、地中から水が湧き出るところを意味し、池や沼、湖などのように水が溜まったところを表していない。
次に区別しやすいのが「潟」。
潟は、海の一部が砂州によって外海から分離されてできた低地に水が溜まったところで、海水が混ざっていて、潮の満ち引きによって現れたり隠れたりする。
残りの「池」「沼」「湖」「沢」を分ける厳密な定義はないが、一応、目安となる区別の仕方があり、大きさ・深さ・植物の有無などによって分けられる。
小さく浅い順に、沢・池・沼・湖となる。
沢は、低地で浅く水が溜まり、アシやオギなどの植物が茂っている湿地である。
また、山間の比較的小さな渓谷も「沢」という。
池は、自然のくぼ地に水が溜まったところや、地を掘って人工的造ったところ。
ふつう、沢よりも大きく深いが、沼や湖よりも小さく、水深5m以下のところをいう。水中植物はあまり生えていない。
沼は、池よりも大きく、湖よりも小さいところ。
水深は池と同様に5m以下であるが、フサモ・クロモなどの水中植物が繁茂し、泥土が多い。
湖は、池や沼よりも大きく、水深5m以上のところをいう。
ふつうは自然にできたところを指すが、ダムなどの貯水池を「人工湖」「人造湖」などと呼ぶように、人工的に造られた湖も存在する。
上記はあくまでも目安で、規模や形態が「湖」であっても、固有名詞では「池」や「沼」となっていたり、「池」のようなところが「沼」と呼ばれていることもある。
砂は、細かく砕けた岩石の粒で、地質学では粒径2mm以下、16分の1mm以上のものをいう。
サンゴや貝殻などの化石片を含めて「砂」ということはあるが、有機物は含まれない。
砂は保水力に乏しく、栄養もないため、砂地では植物が育ちにくい。
土は、砕けた岩石が粗い粉状になったもの、生物の死骸、落ち葉や倒木などの腐植物、微生物などを含んでいう。
含まれる成分によっても異なるが、土は砂に比べて保水力があり、有機物が含まれているため、植物が育ちやすい。
土に粒径の定義はなく、広い意味では、地面や大地なども「土」という。
農林水産省の定義では、自然にできた樹木の密集地を「森」、人工的に作られた樹木の密集地を「林」としている。
しかし、人の手によって作られた公園を「市民の森」と呼んだり、人の手で植樹されたところを「人工林」というように、農林水産省による「森」と「林」の定義と、一般での「森」と「林」の使い分けが一致するわけではない。
一般には「森」と「林」に厳密な区別はなく、次のようなイメージで使い分けられている。
森は「盛り」と同源で、木が多くこんもりと盛り上がったところの意味からといわれるように、樹木がこんもりと生い茂っているところをいう。
同じ種類の樹木が立ち並んだところではなく、様々な種類の木があり、深く生い茂るようなところを「森」といっている。
林の語源は「生やす」の名詞化「生やし」で、木を生やしてあるところの意味からといわれ、深く生い茂ることは表していないが、樹木が群がっていることは表しているように、同じ種類樹木が多く立ち並んでいるところで、木と木の間隔がさほど狭くないところを「林」といっている。
漢字でも、「森」は沢山の木が混み合い盛り上がったところを表しているが、「林」は同じ種類の木が横並びで、森よりも深みがない。
なお、林の語源について、「人の手で生やしたところ」と解釈されることもあるが、木が自らの力で生やすことを表しており、「生やしたまま」という意味で「人工的」という意味ではない。
面積や樹木の本数の基準などはないが、森は大規模なもの、林は小規模なものという区別もされる。
また、林は「生やしたままで、人が手をつけていないところ」であるため、生活に直結した範囲にあるもの。
森は「こんもり生い茂っていて、人が手をつけるには面倒なところ」であるため、生活に直結しない範囲にあるものという区別もされる。
森林は、森よりもさらに広範囲にわたり、樹木が密生しているところを指す。
また、森林は樹木だけでなく、そこに棲む動物や微生物、土壌などを含めた一体を指していう。
地下水が自然に地表に湧き出ているところや、その湧き出た水を「泉」という。
泉の中でも水温が高いものを「温泉」と呼び、高くないものは「鉱泉」や「冷泉」と呼ばれる。
「温泉」と呼ばれる水温の境界線は国によって異なり、日本では25度以上、アメリカでは21.1度以上、ドイツでは20度以上で、これより低いものが「鉱泉」「冷泉」である。
上記のままであれば、25度未満の湧水は温泉でないことになるが、水温が低い温泉も存在する。
昭和23年(1948年)に施行された温泉法の定義では、治癒成分が含まれていなくても25度以上であるか、水温が低くても塩分・鉄分・硫黄など19種類の鉱物質のうち、いずれかひとつでも含有量が限界値以上であればよく、広義には鉱泉も温泉である。
しかし、「温泉」といえば温かいものと考えるのが普通であるため、一般的には鉱泉の中でも25度以上を「温泉」と呼び、25度未満を「鉱泉」や「冷泉」と呼び分けられているのである。
また、泉温(鉱泉が地上に湧き出たときの温度)によって細かく分類する際は、25度未満は「冷鉱泉」、25度以上34度未満は「低温泉(微温泉)」、34度以上42度未満は「温泉」、42度以上を「高温泉」と呼ぶ。
影は、光が物体に遮られて、光源と反対側に現れる暗い部分。
陰は、物に遮られ、日光や風雨が当たらないところのこと。
影は、「月の影」のように、元々は日・月・星・灯火などの光を表す言葉。
そこから、光が反射して、水や鏡の面などに映る物の形や色などを表し、光が遮られることで見える物の姿や形、黒い部分などを表すようになった。
陰は、日光や風雨が当たらない部分で、必ずしも光と対ではない。
光との関係で考えた場合は、光が遮られることで現れるのが「影」、見えなくなったところが「陰」となる。
陰は、見えないところの意味から、「陰で悪口を言う」のように、その人のいないところや目の届かないところ、「陰のある人」のように、表面には出てこない暗い面の意味でも使われる。
川」の字は、地の間を縫って流れる普通の川を表した象形文字で、一般的には「川」と書く。
「河」の原文字は、黄河の直角に曲がる流路を表したもので、中国で「河」と書いた場合は「黄河」を指す。
日本では「運河」や「銀河」など、特に大きな川を指す場合に「河」が使われることが多い。
大小含めた川全体の総称を「河川」という。
大きい川であっても、信濃川や利根川、石狩川などに「河」の字が使われないのは、黄河のような規模ではないためといわれるが、普通、固有名詞には「川」が使われるという点も、「河」が使われない理由のひとつであろう。
地球上にあるどの川よりも大きな「天の川」を「天の河」と書くことが少ないのも、そのためである。
川を表す字には「江」もある。
中国で「江」と書いた場合は「長江」を指し、「河」よりも大きな川を表すが、日本では「入り江(海や湖沼の一部が入り込んだところ)」の意味で用いられる。
国立公園は、日本の景勝地の中でも特に傑出した地として、指定された自然公園。
自然公園法に基づき、環境大臣が指定し、原則として国(環境省)が管理する。
国定公園は、国立公園に準ずる景勝地として、指定された自然公園。
自然公園法に基づき、環境大臣が指定することは国立公園と同じだが、国定公園は都道府県が管理する。
自然公園法では、国立公園が世界に誇りうる傑出した自然の風景、国定公園はそれに準ずる風景が指定の要件となっているが、どちらに指定されるかの基準は曖昧で、景色が変わった訳でもないのに、国定公園から国立公園に編入されることもある。
基準ではいが、傾向としては、国定公園は国立公園よりも狭いものが多い。
ちなみに、都道府県立自然公園は、国定公園には入らないものの、都道府県の風景を代表する自然公園。
自然公園法に基づいた都道府県の条例に基づくもので、都道府県知事が指定し、都道府県が管理する。
国営公園は、都市公園法の要件を満たしている都市計画施設としての公園または緑地。
国立公園や国定公園とは大きく異なり、自然公園ではなく都市公園で、国土交通大臣が設置し、国(国土交通省)が維持・管理するものである。
国民公園は、国(環境省)が設置・管理する公園で、都市公園・自然公園以外のもの。
国民公園は皇居外苑・新宿御苑・京都御苑の3カ所だが、「国民公園等」といった場合は、千鳥ケ淵戦没者墓苑・戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地が含まれる。
標高も海抜も、平均海面を基準とした土地の高さのこと。
主に、標高は山や土地の高さなど、地形を表す際に用いられ、海抜は津波や高潮災害などの対策の意味もあり、海に近い地域で用いられる。
また、「海抜0メートル地帯」とはいうが、「標高0メートル地帯」とはいわないように、「地帯」を伴う場合は「海抜」が用いられる。
日本では、東京湾の平均海面を基準にした高さを「標高」としているが、海は波の影響もあるため、実際には、国会前庭北地区にある日本水準原点で測量される。
海抜は、津波や高潮などの対策の目安となるため、本来は近海の平均海面を基準とすべきであるが、標高と海抜の基準が異なると不都合が生じることから、一部の離島を除いて、標高と同じ基準となっており、実質的には標高も海抜も同じである。
標高と海抜を同じにすることで、高さは統一されるが、近海の平均海面を基準としなければ、肝心な注意喚起としては使えない高さを表すことになる。
そのため、「海抜〇〇m」の後に「O.P.〇〇m」や「N.P.〇〇m」と小さく括弧書きをして、近海の平均海面からの高さを記載しているところもある(「O.P.」は大阪湾工事基準面、「N.P.」は名古屋港基準面のこと)。
砂丘は砂漠の中で盛り上がったところを指すと思っている人もいるが、必ずしも砂丘が砂漠にある訳ではなく、砂丘と砂漠は全く異なるものである。
砂丘は、風によって運ばれた砂が堆積してできた丘状の地形のこと。
砂漠は、降雨量が極端に少なく、岩石や砂礫からなる広大な荒地のこと。
つまり、砂丘が「地形」を指すのに対し、砂漠は気候を含む「土地」を指す。
砂漠は降雨量よりも蒸発量の方が多いため、植物がほとんど生育せず、人間の活動も極端に制限される。
砂漠といえば、ラクダが歩いている一面砂地の写真が多く使われ、「砂」と表記することから、砂砂漠のイメージも強いが、世界の砂漠の大半を占めるのは、岩石や砂礫が露出した岩石砂漠である。
日本で唯一砂漠のある都道府県は、鳥取県ではなく東京都。
伊豆大島の表砂漠、裏砂漠、奥山砂漠で、国土地理院の地図にも「砂漠」として載っている。
しかし、降雨量が少ないことからできたものではなく、度重なる三原山の噴火により、火山灰や砂礫で覆われたため荒地になったところなので、厳密には砂漠ではない。
砂丘はできた場所によって、海岸砂丘、河畔砂丘、湖畔砂丘に分けられ、日本三大砂丘の鳥取砂丘(鳥取県)、吹上浜砂丘(鹿児島県)、中田島砂丘(静岡県)は、いずれも海岸砂丘である。
中でも、鳥取砂丘は日本最大級の砂丘として有名だが、日本一広大な面積の砂丘は、鳥取砂丘ではなく青森県の猿ヶ森砂丘。
日本一の猿ヶ森砂丘があまり有名でないのは、砂丘の中に防衛省の弾道試験場があり、一般人の立ち入りが制限されているためである。
山は周囲の土地よりも表面が高く盛り上がった地形のことで、丘は小高い土地を指す。
一般的に、丘は山よりも低く、傾斜がなだらかなものをいうが、何m以上であれば「山」、何m以下を「丘」と呼ぶといった、山と丘を区別する明確な定義はない。
国土地理院が発行する地形図に載る山として最も低い山は、宮城県仙台市宮城野区蒲生にある「日和山」で、標高は3mしかなく、「丘」とも呼ばれないほどの高さである。
日和山は「築山」と呼ばれる人工的に作られた山で、人工の山であっても地形図には山として載ることがわかる。
秋田県南秋田郡大潟村にある「大潟富士」は、周囲からの比高が、日本一高い山「富士山」の1,000分の1にあたるある3.776mになるよう作られた標高0mの築山である。
大潟村が国土地理院に対し、地形図への掲載を求めたが、人工物で歴史も浅いといった理由から掲載を見送られている。
国土地理院が地形図に載せる条件としては、「地元住民が山と呼んでいるか」「地元自治体が公式名称としているか」「国土地理院が記載を妥当と判断するか」の3点。
人工であれば低い山は簡単に作ることが出来るため、古くから地元で「山」と呼ばれている必要があるようだ。
地形図への掲載有無は別として、基本的には、地元住民が「山」と呼んでいれば「山」であり、「丘」と呼んでいれば「丘」ということである。
ちなみに、自然の山として日本一低い山は、徳島県徳島市方上町にある「弁天山」で、標高は6.1mである。
夜中や明け方に空気が白くなり、視界が悪くなる状態を「霧(きり)」が出るとか「靄(もや)」がかかると言います。 これは、大気の温度が下がり空気中に含まれている水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かぶ事で発生します。 この原理は「霧(きり)」も「靄(もや)」も同じです。では、どのように分けられているのでしょう?
きりとは
視程(先が見える距離)が1km未満の状況の事をいいます。
もやとは
視程が(先が見える距離)が1km以上10km未満の事を指します。
「霧(きり)」も「靄(もや)」先が見える距離で分けられているというわけです。因みに視程が100m以下になった場合は濃霧(のうむ)と言います。
要するに!
・「きり」→1キロ先が見えない場合
・「もや」→10キロ先が見えない場合
空から、水蒸気が氷の粒になって降ってくるものを「雹(ひょう)」とか「霰(あられ)」と言います。 この2つの違いについて、大粒のものは「雹(ひょう)」小粒のものは「霰(あられ)」と理解している人が多いと思いますが、それでほぼ正解です。 厳密には次のように分けられています。
ひょうとは
直径が5ミリ以上の氷の粒を「雹(ひょう)」と言います。中には30センチ近い氷の塊が降ってきた事例もあり、雷や竜巻などと同じ大変危険な自然現象です。
あられとは
直径5ミリ以下のものを、「霰(あられ)」と言います。「雪」と似ていますが、氷の塊なので雪より比重が重く当たると痛い場合があります。
要するに!
・「ひょう」→氷の粒が直径5ミリ以上のもの
・「あられ」→氷の粒が直径5ミリ以下のもの
宇宙の星などが物を引き寄せる力を「引力」と言いますが、これと似た言葉に「重力」という言葉があります。 この2つはしばしば同じような意味で用いられますが、厳密には次のような違いがあります。
引力とは
二つの物体が互いに引き合い、くっつこうとする力のことです。質量を持つ物体の間には必ず引力が働き、これを「万有引力」と言います。 また磁石のS極とN極が引き合う磁力も引力の一つです。因みに、引力の逆、物体が退け合い離れようとする力の事をを斥力(せきりょく)といういます。
重力とは
地球が物を引っ張る力、つまり地球の「引力」という事が出来ますが、地球は自転しているので外に引っ張られる「遠心力」も働いています。 重力とは、この地球の引力と自転による遠心力を合わせたものです。 私達が物を持ったときに重さを感じるのは地球の重力によるものです。
要するに!
・「引力」→二つの物体が互いに引き合い。
・「重力」→地球の引力と遠心力を合わせたもの。
周囲が海に囲まれた小さな陸地の事を「島」といいます。そして、大きな陸地の事を「大陸」と言います。いったいどこまでが「島」でどこからが大陸なのでしょう? 「島」と「大陸」の基準は、ある二つの「島」と「大陸」を基準に分けられています。
島とは
世界で一番大きな島はグリーンランドで、その面積は「2,166,000 km2」です。つまり、これより小さい陸地は全て島と呼ぶ事が出来ます。。 因みに私たちの国「日本」の本州の大きさは世界で7番目に大きいそうです。
大陸とは
世界で一番小さい大陸は「オーストラリア大陸」その面積は「8,468,000 km2」です。つまりこれより大きい陸地は全て大陸と呼ぶことが出来ます。
要するに!
・「島」→グリーンランドより小さい陸地
・「大陸」→オーストラリアより大きい大陸
雨がほとんど降らず、植物のない砂だらけの場所の事を「砂漠」と言いますが、同じように砂だらけの場所を「砂丘」と呼ぶこともあります。 「砂漠」の小さいようなものが、「砂丘」と思われがちですが、実際は「砂漠」と「砂丘」明確にそのメカニズムに違いがあります。
砂漠とは
雨がほとんど降らず砂や岩石の多い土地、地域のことをいいます。年間降雨量が250mm以下という定義もあります。 水分が少ないため、ほとんど植物がなく作物も育たないため、人間の居住が難しい地域とされています。 アフリカのサハラ砂漠や、モンゴルのゴビ砂漠などが有名です。
砂丘とは
風などにより砂があつまり丘を形成しているのが「砂丘」です。「砂漠」は地域の事を指しますが、「砂丘」というのは地域で無く「地形」そのものの事です。 年間降雨量も「砂丘」の定義にありません。日本では、鳥取県の鳥取砂丘が有名ですが、このほかにも自然にできた沢山の海岸砂丘があります。
要するに!
・「砂漠」→雨がほとんど降らず砂や岩石の多い地域
・「砂丘」→風などにより砂があつまり丘状になった地形
地震が起きると、ニュースなどでマグニチュード6と震度4等と、2つ言い方で報道されます。 この「マグニチュード」と「震度」はそもそも、別のものを計る物差しと言えます。 これを理解すると、ニュースなどを見た時にどのような地震が起きたのかがよくわかります。
マグニチュードとは
アメリカの地震学者によって考えられたもので、Mという単位を用いて表します。地震そのものがもつエネルギーの規模と言えます。 震源地から100キロ地点にある地震計が記録した物を基準とし、M7以上は大地震とされています。
震度とは
私達が生活している場所での揺れの強さのことを表します。 1996年までは震度1?8の8段階でしたが、1996年に改訂で震度5と6に「弱」「強」という新しい基準が加わり、現在では10段階の震度で表せれます。 震度は、計測震度計により客観的に測定されており、マグニチュードとは全く別の物差しとなります。
要するに!
・「マグニチュード」→地震そのものがもつエネルギーの規模
・「震度」→生活圏での揺れの強さ
陸地にできた大きな水の溜まり場を、湖とか沼、あるいは池と言いますが、これらの呼びかたの違いはどこにあるのでしょうか? 湖と聞くと水が澄んでいてキラキラ輝いているような物を連想し、沼とというと、水が濁っていて少しドロドロとしたイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。 この定義はおおむね間違いではありませんが、厳密には次のように分けられています。
湖とは
自然にできた大型の水溜まりのうち、深度5メートル以上のものを「湖」と言います。 琵琶湖(びわこ)、洞爺湖(とうやこ)、猪苗代湖(いなわしろこ)等に代表される湖は水深が深いため、水が澄んで見えるわけです。
沼とは
自然にできた大型の水溜まりのうち、深度5メートル以下のものを「沼」と言います。 水深が浅いので水が濁っていてるように見え、暗いイメージが定着していますが、北海道の(鏡沼)など水が澄んだ綺麗な沼も存在します。
池とは
自然にできたものではないもの、つまり人工的に作られた水溜まりを池といいます。
要するに!
・「湖」→自然にできた水溜まりのうち深度5メートル以上もの
・「沼」→自然にできた水溜まりのうち深度5メートル以下もの
・「池」→人工的に作られた水溜まり
テレビで天気予報を見ていると、雨の降った量を「降雨量」と言ったり、「降水量」と言ったりしています。なぜ、降雨量と降水量、二つの言い方があるのでしょう。 この二つには次のような違いがあります。
降雨量とは
まず、降雨量も降水量も、地面に浸みこんだり、蒸発したりすることなく、その場につもった水の深さを表し、mm(ミリメートル)で示されます。 そして降雨量は、雨だけでつもった水の深さを示しています。
降水量とは
空から降ってくるのは雨だけではありません。雪、あられ、ひょう等が降った場合、また霧など空気中の水分すべてを含めて数値化した物が降水量となります。
要するに!
・「降雨量」→雨によって地面につもった水の深さ
・「降水量」→雨、雪、霧などすべての天候によって地面につもった水の深さ
山の高さを「標高〇メートル」と表しますが、これと似た言葉に「海抜」というものがあります。 この二つの違い、わかりますか?どちらも「海面からの高さ」には違いないのですが、ある理由で使い分けられているのです。
標高とは
日本での「標高」は東京湾の平均海面を基準にしています。 しかし海面は常に波打っているので、実際には、国会前庭に設置された日本水準原点(標高24.3900m)を基準点として測量されているのです。
海抜とは
「標高」と同じく、海面を基準として計測されますが、基準となるのは東京湾ではなく近くの港湾などの平均海面を基準としています。 これは津波対策や高潮対策では、東京湾ではなく近隣海面の高さが重要になるためです。
その様なわけで、一般的な地理で山の高さを表す場合は「標高」を用いますが、海の近くでの津波や高潮の災害対策では「海抜」が用いられているのです。
要するに!
・「標高」→東京湾の平均海面を基準とした土地の高さ。
・「海抜」→津波などの災害対策で、近隣海面からの高さとして使う。
地球の南の端と北の端にそれぞれあるのが「南極」と「北極」です。この二つの地域は、万年氷点下で人が住めるような環境ではありません。 どちらも、厳しい環境には違いありませんが、次のような相違点もあります。
南極とは
地球の最南端、南緯90°の地点にある「南極点」、またはその周辺に広がる「南極大陸」や「南極海」などを含む地域を南極といいます。 南極大陸は平均2000mもの氷に覆われており、「南極点」はその南極大陸上にあります。 南緯77度には日本の南極観測基地「ドームふじ基地」があり、平均気温は-54.4度、最低気温は-79.7度が観測されています。
南極には陸生の哺乳類は生息しておらず、ペンギン、ユキドリなどの鳥類、シロナガスクジラ、シャチ、オットセイ、アザラシなど水生の哺乳類が生息しています。 尚、南極にシロクマは生息していません。
北極とは
地球の最北端、北緯90°の地点にある「北極点」、またはその周辺に広がる「北極海」周辺の島、大陸沿岸などを含む地域を北極と言います。 「南極点」は大陸上にありますが、「北極点」は北極海上、つまり海の上にあります。北極海は常に凍結しているため、氷上を移動して北極点に到達することができます。 北緯78度にある「ニーオーレスン観測基地」では平均気温は-6.2度、最低気温は-42.2度を観測しており、南極よりは気温が高いことが分かっています。
北極には、一般に「白熊」と呼ばれるホッキョクグマをはじめ、ホッキョクギツネ、ホッキョクウサギなどの陸生哺乳類やアザラシなどの水生哺乳類が生息しています。 尚、北極にペンギンは生息していません。
要するに!
・「南極」→南緯90°の地点。平均気温は-54.4度でペンギンが生息。
・「北極」→北緯90°の地点。平均気温は-6.2度でシロクマが生息。