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ホーム文法庭三郎



        
                                                                  
          第 4 部 連 文                        
                                                                  
    連文とは文と文とのつながりを言います。これまで取り        
   あげた文は、独立した一つの文が多かったのですが、実際        
   の文は一つ一つ独立して存在するわけではなく、お互いに        
   密接な関係を持ってつながりあっています。そのつながり        
   がうまく行かないと、一つ一つは文法的でも、文章として        
   は何かちぐはぐなものになってしまいます。以下ではその        
   ような文と文の間に働く文法を考えてみます。            │
        

                    60. 文のつながり  
                    61.  情報のつながり
                    62.  文どうしの関係

                    63. おわりに 



     
                      
                         

60.文のつながり

                     60.1 概観          60.2 文のつながり方 60.3 まとめ

60.1 概観

これまでは一つの文の中での文法を考えて来ました。以下では二つ以上の文 の間に観察される文法事項について考えてみましょう。 一つの文は、話し手のある一つの「考え」をまとめたもので、その内容を相 手に伝えるためのものです。しかし、言うまでもなく、話し手の頭の中にある 「相手に伝えたいこと」は、一つの文だけで表せるものではありません。いく つもの文を連ねることによって、話し手は相手にそれを伝えようとします。 それらの文は、決して独立した文の集まりではありません。何らかの形で前 の文とつながり、また、あとの文とつながることによって、まとまった内容を 表します。  逆に、前の文とある程度切れることで、内容の切れめを示し、新たな内容を 述べ始める、ということが行われます。 もちろん内容自体のまとまり、展開が重要なことは言うまでもありませんが、 文法的な面からみても、いくつかのことが指摘できます。 これは、大きく言えば一つの文章全体の構造ということにもなりますが、こ こではもう少し小さいまとまり、特にある文と次の文のつながり方について、 一つの文を分析したのと同じような考え方で考えてみることにします。 なお、「文章」というとふつうは書かれたものを指しますが、言語分析の場 合は、会話・講演なども広く「文章」に含めます。逆に「談話」ということば で書き言葉を含めて指すこともあります。「ディスコース」とも言います。 文章全体について考える分野は、「文章論」とか「談話分析」あるいは「談 話文法」などといわれますが、ここでの話はもっと小さく、文のつながりとい う意味で名前をつければ「連文論」とでもなるようなものです。 とりあげる事項は次のようなものです。 1 情報のつながり 2 文どうしの関係 3 文のまとまり方 それらの問題を個別にとりあげる前に、一つの文章を例にして「文のつなが り方」が実際にどのようなものかを見てみることにしましょう。

60.2 文のつながり方

  まず、次の「自己紹介」の文章を見て下さい。これは、ある教科書にあった ものをわざと悪く書き直したものです。 ┌────────────────────────────────┐ │ 自己紹介 │ │ 1. わたしはマナです。わたしはタイのバンコクから来ました。わ │ │ たしは今年の4月に日本に来ました。今、わたしは日本語学校の │ │ 学生です。わたしは19才です。 │ │ 2. 東京にわたしの日本語学校があります。あの学校はあまり大き │ │ くないです。あの学校は新しいです。 │ │ 3. 学生が日本語学校に60人ぐらいいます。学校にいろいろな国 │ │ の学生がいます。インドネシアの学生はいます。メキシコの学生 │ │ はいます。その学生はわたしのいいともだちです。 │ │ 4. りょうは学校のそばにあります。そのりょうに学生がいます。 │ │ わたしたちは、毎日しょくどうでいっしょにごはんを食べます。 │ │ しょくどうでもいっしょにテレビを見ます。 │ │ 5. わたしは毎日あさからばんまで日本語をべんきょうします。日 │ │ 本語はむずかしいです。わたしは日本語がへたです。 │ │ 6. わたしは数学をべんきょうします。わたしはらいねんの4月に │ │ 大学へ行きます。大学で数学をべんきょうします。 │ └──────────────────────────────── ┘ 一つ一つの文はそれほど間違っていないのですが、全体として何かちぐはぐ なところが目立ちます。 どこをどう直せば、もう少し自然な文章になるのでしょうか。段落ごとに考 えてみましょう。  なお、この文章は非常に基本的な文型だけで書かれているので、直す場合に もできるだけやさしい文にします。そのぎこちなさはかんべんしていただきま す。

(1) 主題の省略

┌────────────────────────────────┐ │ 1. わたしはマナです。わたしはタイのバンコクから来ました。わ │ │ たしは今年の4月に日本に来ました。今、わたしは日本語学校の │ │ 学生です。わたしは19才です。 │ └────────────────────────────────┘  まず1.の段落から。明らかに「わたし」の繰り返しが目立ちます。日本語で は、同じ主題を各文ごとに繰り返すことはしません。  連続したいくつかの文で同じ主題が繰り返される場合、後の主題は省略でき ますし、省略することによって、前の文と強く結びつけられることになります。  後の文は、前の文にもたれかかった、半独立の文になるからです。  けれども、初めの以外の「わたし」をぜんぶ消してしまうだけでは、 わたしはマナです。タイのバンコクから来ました。今年の4月 に日本に来ました。今、日本語学校の学生です。19才です。 となり、ちょっとぶつ切れの感じがします。  しかしまた、たんに文をつなげばいいかと言うと、そうでもありません。初 めの二文をつないでみましょう。 わたしはマナで、タイのバンコクから来ました。 何か変です。自己紹介で、「私は田中で、・・・」の後に来るのはどんな表現 でしょうか。あまりないようです。名前だけで切るのがいいようですが、なぜ かはわかりません。  それはさておき、次に「来ました」で終わる文が二つ続いているので、それ をつなげる方がいいでしょう。 わたしはマナです。タイのバンコクから、今年の4月に日本に 来ました。  あるいは、時の表現を前にしたり、「日本に」はわかりきっているから省略 したりしてもいいでしょう。(もちろん、場面は日本と考えて、です) 今年の4月に、タイのバンコクから来ました。 これをさらに後に続けて、 ・・・バンコクから来て、今、日本語学校の学生で、19才です。 とするのはつなげ過ぎです。 一般に動詞文の「〜て」の後に来るのは、その後の動作がふつうです。 4月にバンコクから来て、今、日本語学校に通っています。 しかし、次のように言うことはあります。 4月に大学を卒業して、今、会社員です。 この例がいくらかよく感じられるのは、「大学卒業→会社員」ということが 常識によって支えられているからでしょう。それに比べると、「バンコクから 来て、19才です」というつながりはどう考えても不自然です。 結局、次のように書き換えることになります。 ┌────────────────────────────────┐ │ 1. わたしはマナです。今年の4月にタイのバンコクから来まし │ │ た。今、日本語学校の学生で、19才です。 │ └────────────────────────────────┘ では、2.の段落へ行ってみましょう。

(2) 新しい主題の立て方

┌────────────────────────────────┐ │ 2. 東京にわたしの日本語学校があります。あの学校はあまり大き │ │ くないです。あの学校は新しいです。 │ └────────────────────────────────┘ 初めの文が何か落ち着きません。「東京に日本語学校がたくさんあります」 ならば、事実をそのまま述べた存在文として受け取れますが、上の文はそうで はありません。  かと言って、上の文が「事実をそのまま述べた」文ではないとも言えません。 「わたしの日本語学校」が「東京にある」こと自体は正しいのです。さて、ど う考えたらいいでしょうか。 ここで、「主題による文のつながり」という考え方が必要になります。前に 出たものを次の文の主題として取り上げて、前の文とのつながり、まとまりを 作り、文章の流れを形作ろうということです。  この例で言うと、その前の文で「(わたしは)日本語学校の学生で」と言っ ているのだから、それを受けた 「わたしの日本語学校」は次の文では主題となるべきなのです。「わたしの」 はあってもいいのですが、省略しても誤解は起こりません。文脈の支えがあり ますから。 (わたしの)日本語学校は東京にあります。 次の「あの学校は」の「あの」が適切でないことは指示語の使い方の問題で すが、それ以前に、同じ主題の繰り返しになるので、言わない方が自然です。  そして、二つの文の内容が「大きくない」と「新しい」という、常識的には 相反する評価になっているので、「〜が、〜」で結ぶのがふつうでしょう。  「〜が、〜」は複文の中ではもっとも使いやすいものです。 あまり大きくないですが、新しいです。 三つの文をつないで、「東京にあって、〜」としない方がいいのは、「東京 にある」ことと、後の二つの文の内容とが、特に順接・逆接などの関係を示す とは考えにくいからです。実際の話しことばではありえる文ですが、あまりい い言い方とは言えません。 ?日本語学校は東京にあって、あまり大きくないです。 ?日本語学校は東京にありますが、あまり大きくないです。 もし、「東京にある日本語学校は大きいはずだ」という常識・予想が一般的 であれば、二番目の文が成り立つことになります。 結局、第二段落は次のようになります。 ┌────────────────────────────────┐ │ 2. (わたしの)日本語学校は東京にあります。あまり大きくない │ │ ですが、新しいです。 │ └────────────────────────────────┘

(3) 「も」の使用

三番目の段落です。 ┌────────────────────────────────┐ │ 3. 学生が日本語学校に60人ぐらいいます。学校にいろいろな国 │ │ の学生がいます。インドネシアの学生はいます。メキシコの学生 │ │ はいます。その学生はわたしのいいともだちです。 │ └────────────────────────────────┘ 3.の初めの文は、やはり前の文とつながっていませんから、書き直した方が いいのですが、どうしたらいいでしょうか。「日本語学校」あるいはその省略 した形の「学校」を主題とするのが一つのやり方です。この文では場所を示す 補語になっていますから、「〜には」の形になります。 (日本語)学校には、学生が60人ぐらいいます。  あるいは、「学校→学生」という自然な類推が働くので、「学生」を主題と することもできます。(この「学生」は、1.の「(わたしは)今、日本語学校 の学生です」で「既出」だ、と考えるのはよくありません。述語名詞としての 用法は別にしなければなりません)  この場合、「学校に」は省略されます。 学生は60人ぐらいいます。 二番目の文は、「学校に」を取って、 いろいろな国の学生がいます。 としてもいいのですが、初めの文といっしょにして、 学校にはいろいろな国の学生が60人ぐらいいます。 としたほうがまとまります。 さて、次の「インドネシアの学生はいます」は、 インドネシアの学生は? いますか、いませんか? という質問に対する答えとしてはいいのですが、ここでは不自然です。  この段落の流れは、「いろいろな国の学生がいる。例えば(いるのは)〜の 学生だ」ですから、次の「メキシコの学生」もいっしょにして、 (例えば)インドネシアやメキシコなどの学生です。 とすることができます。ここで、「AはBです」の「A」にあたるのは、上に も書いたように「いろいろな学生」または「いるのは」です。 あるいは、「タイの学生がいる。そして、〜」という流れを考えれば、「対 比」の意味合いを持つ「は」ではなく、「同類」を表す「も」を使って、 インドネシアの学生もいます。 とするか、「〜も〜も」の文型を使って、 インドネシアの学生も、メキシコの学生もいます。 とすることもできます。「も」も、前の文とのつながりを強く示す働きがあり ます。 この段落の最後の文はどうしたらいいでしょうか。  「インドネシアの学生」と「メキシコの学生」を指示語で受ける場合は「そ の学生」は「その学生たち」としなければなりません。また、「かれら」で受 けるのは硬い、よそよそしい言い方です。  自然な文は、 みんなわたしのいいともだちです。 ぐらいでしょうが、どうして「その学生たちは」を入れないほうがより自然な のかを説明するのは難しいことです。  この場合、「インドネシアの学生もメキシコの学生も〜」と繰り返すのが原 則的にはいいのでしょうが。 いちおう、次のようにしておきましょう。 ┌────────────────────────────────┐ │ 3. (日本語)学校には、いろいろな国の学生が60人ぐらいいま │ │ す。インドネシアの学生もメキシコの学生もいます。みんなわた │ │ しのいいともだちです。 │ └────────────────────────────────┘

(4) 「も」による主題化

┌────────────────────────────────┐ │ 4. りょうは学校のそばにあります。そのりょうに学生がいます。 │ │  わたしたちは、毎日しょくどうでいっしょにごはんを食べます。 │ │  しょくどうでもいっしょにテレビを見ます。 │ └────────────────────────────────┘ 「りょうは」と主題化するには、日本語学校に寮があるのはふつうのことだ という常識が前提として必要です。そうでなければ、 学校のそばにりょうがあります。 という形で「りょう」を文脈に新たに導入する必要があります。学校の寮に学 生がいることは当然のことですから、二番目の文は不要でしょう。初めの文で 「学生のりょうが」とすればはっきりします。 このように、一般的な常識によって「主題化」など、文の作り方が左右され るのは、当たり前と言えばそれまでですが、文法の規則だけでは実際の文章が 書けないことを示しています。 次は、「しょくどうでもいっしょに」の部分です。この「も」は「テレビを 見る」ことに関わるものです。 しょくどうでいっしょにテレビも見ます。 としてもいいのですが、「ごはんを食べる」ことに対して、「テレビを見る」 ことが食堂で「いっしょに」行なう日常生活の一例として取りあげられていま す。  このような場合、その名詞「テレビ」だけを取り出して主題とすることもで きます。ここでは「Nは」ではなく、「Nも」にします。 テレビも食堂でいっしょに見ます。 「〜たり〜たり」が使えれば、(もう習っていれば) わたしたちは、毎日しょくどうでいっしょにごはんを食べたり、 テレビを見たりします。 のように一つの文にすることができ、よりまとまった文になります。 ┌────────────────────────────────┐ │ 4. 学校のそばに学生のりょうがあります。わたしたちは、毎日し │ │ ょくどうでいっしょにごはんを食べます。テレビもしょくどうで │ │ いっしょに見ます。 │ └────────────────────────────────┘

(5) 接続詞の使用

┌────────────────────────────────┐ │ 5. わたしは毎日あさからばんまで日本語をべんきょうします。日 │ │ 本語はむずかしいです。わたしは日本語がへたです。 │ └────────────────────────────────┘ それぞれの文はわかるのですが、論理的な関係がはっきりしません。適当な 接続詞を補うとわかりやすくなります。 「毎日勉強します」と「(まだ)へたです」の関係は「逆接」です。「難し いです」と「へたです」は、理由−結果の関係と考えられますので、それぞれ の接続詞を使います。  複文が使えれば、 わたしは毎日あさからばんまで日本語をべんきょうしていますが、 日本語はむずかしいですから、まだ日本語がへたです。 のように一つの文にすることができます。 ここで、「毎日勉強します」のままだと、ずっと続いていて、これからも続 いていくような習慣的行動を表しますが、「日本語学校に入ってから今まで勉 強してきた(が、まだ下手だ)」という文脈なので、同じ習慣を表す形でも、 「勉強しています」のほうが望ましいのですが、この段階では未習ということ であれば、「します」でもしかたがないでしょう。  「とても」や「あまり・・ない」などの副詞も使ってみます。 ┌────────────────────────────────┐ │ 5. わたしは毎日あさからばんまで日本語をべんきょうします。け │ │ れども、日本語はとてもむずかしいです。ですから、わたしはま │ │ だ日本語があまりじょうずではありません。 │ └────────────────────────────────┘

(6) 反復

┌────────────────────────────────┐ │ 6. わたしは数学をべんきょうします。わたしはらいねんの4月に │ │ 大学へ行きます。大学で数学をべんきょうします。 │ └────────────────────────────────┘ 初めの「数学」はもちろん「日本語を勉強するほかに」という文脈にありま すから、「数学も」とします。 「数学を勉強します」が二回出ているので、後の方を 大学でも数学を勉強します。 としたいところですが、ここではむしろ「大学で」のほうが重要です。言いた いことは、「大学で数学を専門に」ということでしょう。ただ、この「数学を 専門に」という言い方はちょっと高級かもしれません。 ┌────────────────────────────────┐ │ 6. わたしは数学もべんきょうします。わたしはらいねんの4月に │ │ 大学へ行きます。そして、大学で数学を専門にべんきょうします。│ └────────────────────────────────┘ これで最後の段落まで終りました。直したものを全部つなげてみると、次のよう になります。 ┌────────────────────────────────┐ │ 1. わたしはマナです。今年の4月にタイのバンコクから来まし │ │ た。今、日本語学校の学生で、19才です。 │ │ 2. (わたしの)日本語学校は東京にあります。あまり大きくない │ │ ですが、新しいです。 │ │ 3. (日本語)学校には、いろいろな国の学生が60人ぐらいいま │ │ す。インドネシアの学生もメキシコの学生もいます。みんなわた │ │ しのいいともだちです。 │ │ 4. 学校のそばに学生のりょうがあります。わたしたちは、毎日し │ │ ょくどうでいっしょにごはんを食べます。テレビもしょくどうで │ │ いっしょに見ます。 │ │ 5. わたしは毎日あさからばんまで日本語をべんきょうします。け │ │ れども、日本語はとてもむずかしいです。ですから、わたしはま │ │ だ日本語があまりじょうずではありません。 │ │ 6. わたしは数学もべんきょうします。わたしはらいねんの4月に │ │ 大学へ行きます。そして、大学で数学を専門にべんきょうします。│ └────────────────────────────────┘ どうでしょうか。初めに述べたように、できるだけ初歩的な文法事項だけを 使うようにしたので、まだぎこちない文章ですが、最初に出したものよりはい くらかよくなっただろうと思います。 実際の文章はもっと文型が複雑ですし、内容も高度になるので、問題が複雑 になりますが、基本的な問題は上の例で見てきたようなことになるでしょう。 

60.3 まとめ

以上見てきたことをかんたんにまとめます。  まず、文の主題というものが話の流れを形作るのに重要な役割を果たします。 それはふつう「は」で示されます。「も」を使うと、前の文 とのつながりが強 く示されます。主題によって、その文・連文が何について述べている文かが示 されます。  同じ単語、同類の表現を繰り返し使うことでも、文どうしのつながりがはっ きりします。逆に、それらを省略することは、省略されても当然理解できるこ とを示すことになり、文どうしの関係が緊密なものになります。  指示語を使うと、それによって指されている単語・文とのつながりがはっき り示されます。  接続詞の使用は、文の関係の種類を明らかにします。また、接続詞が入れに くい連文というものもあります。  以下では、これらのことをよりくわしく考えてみます。 参考文献 林四郎1973『文の姿勢の研究』明治図書 北篠・森田1988『談話の研究と教育 供拗駑国語研究所 寺村秀夫編1990『ケーススタディ 日本語の文章・談話』桜楓社 横林・下村1988『接続の表現』荒竹出版   野田尚史2002「単文・複文とテキスト」『複文と談話』岩波書店 新川忠1996「文のあいだのむすびつきをめぐって」『教育国語』2・23むぎ書房 高見健一2002「談話研究・機能的構文論の展望」『日本語学』5月号別冊明治書院