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                 6.補語のまとめ  
 
  
6.1 主体・側面  
6.1.1 名詞文  
6.1.2 形容詞文:主体と側面  
6.1.3 動詞文:Nが・Nで・Nから  [主体のない文]  [Nが]  [Nで]  [Nから]
  6.2 対象 
6.2.1 Nを  
6.2.2  対象:Nに  
6.2.3 対象:Nが
[補説§6]
   §6.1 補語の立て方 
   §6.2 益岡・田窪の補語/格助詞の用法 
         
  ここで、これまでに出てきた補語をかんたんにまとめ、それ以外の補語についても述べておきましょう。
  これまで、基本述語型の補語、特に動詞文の補語を「Nが・Nを・Nに・Nと」など、具体的な形で一通り
見てきました。次に、これらの補語を述語との意味関係から見直して、まとめて振り返ってみましょう。こ
れまであまり問題にしなかった「Nが」や「Nを」についても少しくわしく考えてみます。  
  述語に対する名詞の意味関係は、人間が生きる世界の複雑な現実を描写するためのものですから、
実にさまざまです。しかし、それを表現する手段である格助詞の数は限られているので、一つの格助詞
がいくつもの意味関係を表す役を持たされています。そこが、日本語学習者にとって難しいところです。
  
  さて、一般に補語には二種類あると考えられています。
  一つは「必須補語」で、ある述語にとって、それがないとその述語が表わそうとするものごとが表わせ
ないようなもの、その述語にとって必須不可欠のものです。
  例えば、「食べる」にとっての「主体」「対象」、「行く」にとっての「主体」「場所」などです。今まで補語と
して取り上げてきたものはほとんどこれです。
  もう一つは、必須ではないもので、いろいろな呼び方がありますが、ここでは「副次補語」と呼んでおき
ます。「食べる」にとっての「場所」「道具」、「行く」にとっての「手段」「仲間」などがその例です。特に言
わなくても「何か足りない」と感じないようなもの、です。ただし、この二つを厳密に区別することは難しい
ようです。この本ではこの区別にはあまりこだわらないことにしておきます。  
  では、典型的な必須補語から見て行きます。後のほうでは副次的なものもとりあげます。    
   
6.1  主体:Nが・Nで・Nから
6.1.1 名詞文
 名詞文「AはBだ」の「Aは」は、補語としてはどう考えたらいいでしょうか。いろいろな考え方がありえま
すが、ここでは一応、形容詞文・動詞文と同じように「Nが」であり、「主体」と考えておくことにします。他
の考え方については、「補説§6」を見てください。
 「ハ・ガ文」、「AはBがCだ」の場合。
のように「B」が「A」の部分で、「AのB」の関係がある場合は、「B」が主体で、「Aは」は「Aの」が「主題
化」されたものと考えられます。
のような「AのC」の型の「ハ・ガ」文では、「広島」を「主体」と考え、述語名詞と連体修飾の関係にある「
カキ」が主題化されたものとします。
  「主題化」については「8.ハについて」を見てください。    
  
6.1.2 形容詞文:主体と側面
 次に、形容詞文の例を見てみましょう。
 「空」は「青い」という性質を持つ、「私」は「悲しい」という感情の、それぞれ主体であると言えます。
 しかし、「ハ・ガ文」の場合は、何を「主体」とするか、ちょっと迷います。
という例で、「素直」なのは「彼」でしょうか、それとも「性格」でしょうか。
の場合は、「象」自体が「長い」わけではないので、主体は「鼻」で、「象」
は「象の鼻」という「Nの」が主題化されたものと考えます。
 「素直」の例でも、「彼の性格」と考えればいいようですが、
の「彼」は主体で、「彼は性格が素直だ」の「彼」は「Nの」という連体修飾だというのは、疑問が残ります
。
 そこで「側面」という補語をたてます。「彼は素直だ」で「素直」なのは「彼」の中の「性格」という「側面」
だ、と考えるのです。
の「体」も側面です。(「象は大きい」が言える)
 名詞文の「ハ・ガ文」、
の「長さ」も「側面」になります。
       
6.1.3 動詞文:Nが・Nで・Nから
[主体のない文]
  ほとんどの動詞・形容詞にとって、「主体」は必須のものです。
  主体を必要としない述語、というのは考えにくいかもしれませんが、例えば英語の「to rain」という動詞
は、それ一つで「雨降る」という意味を表わし、主体と動きの両方が一つの単語で表わされます。ただし
、英語では「主語」が必要なので、「it」を使って、「It rains.」という形で文にします。
  しかし、これは例外的な表現で、人間の動作、物の動き、人・物の存在、状態、変化など、その「主体」
を動詞とは別にして表現するのがふつうです。
  日本語でも主体は必須です。主体は、基本的には「Nが」で表されます。主題化されて「Nは」になるこ
とが多いです。
  それでも、例外というものは常にあるものです。例えば、
の述語「春めく」に対する「主体」として別の語を立てる必要があるでしょうか。「季節が」あるいは「あた
りの雰囲気が」などを補うことはできるかもしれませんが、必須の補語とは言えません。
  あるいは、次の例はどうでしょうか。
          「今何時ですか」「そろそろ十時になります」(時刻は)
  このように、時間や季節の移り変わりなどを表わす文のなかには「主体」を表現しないのがふつうのも
のがあります。
 小説などの出だしで、
のような例もよくあります。「それは」とか「この話(の時)は」などを補うのはかえって不自然です。
 また、次の例は、テレビの実況中継の初めの言葉です。
          そろそろ秋の気配を感じる甲子園球場です。(こちらは?)
  それぞれ、理論的には説明を付ける必要がありますが、教育上の観点からは、「例外的な表現」として
いいでしょう。
  また、次のような文はどう考えたらよいでしょうか。
「英語の文」の動詞との関係は「Nが」ではなくて「Nを」で、動詞の対象です。このような、一般に人が行
なう動作では、「誰が」ということは問題とされず、その「やり方」を説明するような文章では主体が表現さ
れません。あえて主体を言うと、その人独自のやり方になってしまいます。
         (一般に)英文の中の日本人の名前は「名−姓」の順に書きます。
          私は、英文の中の日本人の名前も「姓−名」の順に書きます。
  主体を言わないのがふつうであるこのような文は「料理型」とか「操作型」とか「対格型」とか言われま
す。「料理型」というのは、料理の作り方の説明に多く現れる文型だからです。    
[Nが]
  さて、「Nが」に戻って、もう少し考えてみましょう。「主体」とは言っても必ずしも「主体的意志」を持って
いるわけではありません。上の例の「春」や「雨」を見てもわかりますし、抽象名詞も主体になります。
 ただし、二番目の例のように他動詞の主体になると、いわゆる翻訳調に感じます。
 人間の場合も、意志的な主体と、無意志の場合があります。
  「は・が文」で主題の部分を表す名詞も主体と考えておきます。
  「目が覚める」の場合は、「私の目が覚める」のように考えるのは不自然です。主題に対して「主体+
述語」全体が一つの述語相当になっていると考えられます。主題は、その全体に対する主体になってい
ます。つまり、「目覚める」の主体と同じです。  
  「主体+述語」の結びつきがもっと強くなると、一つの動詞と考えた方がいいものになります。つまり、「
Nが」を主体とは考えません。
  これらは「慣用的表現」として、動詞の補語の型の例外とされます。
  「ある・ない」と名詞の結びつきにも、同じような問題があります。
「責任」を主体とするより、「彼」を主体としたいところですが、形の上では「彼」という「場所」に「責任」と
いう「主体」が「ある」ことになります。 
  「無理がある」「関係がある」などもこの類です。  
  また、次のものは述語を受けてある種の「ムード」の表現になっています。この「必要が」「恐れが」など
を「あります」の主体と言うべきではないでしょう。(「56.連体節」の「56.3 外の関係」の名詞です。)
「必要がある」「恐れがある」全体で助動詞相当と考えられます。
  主体の中で、原因に近いものがあります。次のようなものです。
          その台風が多くの家を倒しました。       cf. 多くの家がその台風で倒れました。
          そのことが彼をひどく苦しめました。
         cf. 彼はそのことで(/に)ひどく苦しみました。
 「苦しめる」の例はまだかなり翻訳調という印象を受けます。原因を表す「で」などを使った方が自然で
す。
      
[Nで]
 「Nが」以外の形が主体を表すことも、まれですがあります。例えば、次のような例では「Nで」が動作
の主体を表します。
 この「〜で」はほとんど「〜が」と同じですが、組織やある立場(二つの側の一方など)の人が主体であ
る場合に使われます。
          旅行の件は、そちらで具体的な計画を立てておいて下さい。
[Nから]
  次に、「Nから」の主体の例。動作の起きる元を示すような場合、また、順番を表す場合などに「Nが」
の代わりに「Nから」を使うことができます。
      
6.2  対象:Nを・Nに・Nが
6.2.1 Nを
  「対象」は基本的に「Nを」で表されます。これのあるなしで、日本語の動詞全体を自動詞と他動詞に分
けることが一般的に行われています。その意味で、非常に基本的な補語です。
  最も単純な、わかりやすい補語でもあり、また、あらためて考え直すと、よくわからないものです。これ
があるものは他動詞とされるわけですが、では、すべての他動詞に共通する意味、言い換えれば「を」
の「意味」とは何かというと、どうもよくわかりません。  
  他動詞の意味とは何でしょうか。他動詞というのは「他に働きかける」動詞という意味でしょう。そこで、
その「対象」がどういう「働きかけ」を受けるのかを少し考えて見ましょう。
 いちばん大きな「働きかけ」は、ものを壊したり、人を殺したりすることでしょう。対象をそれ自体でなく
すこと、とでも言えるでしょうか。
  
  |  機能の消失  |    壊す・切る・破る・割る・殺す  | 
  |  存在の消失  |    消す・なくす・食べる・飲む  | 
  |  終了  |    終える・やめる・よす  | 
  逆に、新たに存在させることも大きな変化と言えるでしょう。
  
  |  造出  |    産む・作る・建てる・湯を沸かす・穴を掘る・書く
              始める・会を開く  | 
  |  増減  |    増やす・減らす  | 
  その他、さまざまな状態の変化。
  以上は、対象となる物そのものの変化を生じさせます。強い「働きかけ」があると言えます。
 また、存在場所を変化させる、つまり移動すること。それに、所有の移動。  
  |  場所の変化  |    運ぶ・動かす・つける・かける・落とす・のせる  | 
  |  所有者の変化  |    貸す・借りる・売る・買う・渡す・受け取る  | 
 以上が、対象に実際に変化を与える「働きかけ」の例です。
  次のような精神的な行為は、対象に変化は起きませんが、働きかけはあると言えそうです。
  もっと精神内部の行為だと、働きかけとは言いにくくなりますが、これらも他動詞で、多くは受身にもな
ります。  
  |  精神的  |    憎む・恐れる・思う・忘れる・覚える・信じる・感じる  | 
 結局のところ、「を」の意味が何かということは、広がりがありすぎて、はっきりとは言えません。はじめ
に述べたように、何らかの「働きかけ」がある、という漠然としたことしか言えません。後で見る「対象の
ニ」との明確な区別をつけることは難しくなります。
  また、他動詞とされる動詞でも、動作の影響が自分自身に戻ってくると言える次のような動作は、「他」
への働きかけとは言えず、「他動詞性」が弱い、ということが言われます。
  このような動詞を「再帰的」な動詞と呼ぶことがあります。ヨーロッパの言語に見られる「再帰動詞」とい
う用語の影響でしょう。ただし、「再帰性」の強さには段階があり、上の三つの例のどこまでを「再帰的」
と考えるかには議論があります。
    
6.2.2  対象:Nに
 この「Nに」は「相手」と呼ばれることがありますが、ここでは「Nを」と並んで「対象」と呼んでおくことに
します。ある動作が成立するために、主体以外にもう一つ要素が必要で、それが「Nに」で表され、しか
も何らかの「働きかけ」を受けると見なされると、「Nを」と同じ役割を果たしていると言えます。「を」と同じ
ように、働きかけの強弱は様々ですが。
 ある動作が成り立つために、「主体」の他にもう一つある「何か」が必要な時、それが「Nを」で表される
か、それとも「Nに」で表されるかは、何によって決まるのでしょうか。以上の例で見る限り、「Nに」をとる
動詞には何らかの「方向性」が感じられます。何かに対する動作、そちらを「向いている」感じがします。
「到達点」の「Nに」との関連がありそうです。そうは言っても、「Nを」の中で「方向性」のあるものを探す
ことは難しくありません。
 「人に頼る」は「人を頼る」という言い方もあります。「人を恋する」は  「人に恋をする」でもいいでしょう。
「意見を批判する」と「意見に反対する」で「を」と「に」の意味の違いを言うことは難しいです。
 次の「Nに」はどう位置づけていいか迷うものですが、「対象」に含めておきます。
  最後の例の「記事に」と「新聞に記事を書く」の「新聞に」は違います。
 これらの場合は、「写真」や「図」というものが先にあるのではなく、「写真を撮った」り、「関係を表した」
りした結果として、「写真」や「図」ができあがるという関係にあります。「穴を掘る」や「湯を沸かす」の「N
を」と似たところがあります。「結果」の補語、とすることもあります。
  次の「Nに」は、この本では「対象」に入れておきます。
 この構文には、別の分析があります。例えば上の例を、
のように、複文のような構造を持つものだと考えるのです。理論的には魅力ある分析ですが、この本で
はそれをとらず、補語とします。  
 なお、形容詞文の「対象のニ」は「3.6.2」でとりあげました。「Nに対して/関して」の意味になります。
    
6.2.3 対象:Nが
 「NはNが〜」の型の文で、「Nが」が対象を表す場合がありました。
 動詞は状態動詞であることが一つの特徴です。感情形容詞の多くがこの形をとります。
 「ある」の例の「子ども」はとりあえず対象としておきますが、
となると、「彼女」は「場所」で「子ども」は主体ということになります。どちらにしても問題の残る例です。
   
6.3 相手:Nに・Nから
 対象の「Nを」をとる動詞で、その対象の物理的・抽象的移動の行く先となる[ひと]または[もの]の「N
に」をとる場合、それを「相手」と呼びます。
 初級教科書で「人にものを」の形でよく出てきます。
   [人に  ことを]頼む、言う、たずねる、(道を)聞く、教える
 これと、対象の「Nに」との違いは何かということも、難しいところです。それで、両方をまとめて「相手」
とする考え方もあり得ますが、ここでは「Nを」の有無によって分けておきます。  
 同じように、物理的・抽象的移動のでどころとなる[ひと]または[もの]の「Nから」を「相手」とします。
典型的には[人からものを]の形になります。
     [人から  ものを]買う、受け取る、とる、盗む、する
 「Nから」のほうは「相手」としない文法書が多いかとも思いますが、貸し借り・売買の「相手」という点
で共通すると思いますので、「Nに」とともに「相手」にしておきます。
 この「Nに・Nから」が[ところ]の名詞の場合は、後でとりあげる「場所」とします。    
     
6.4   恩人:Nに・Nから
  動作を受ける主体を「Nが」で表し、その動作が発する人を「Nに」で表す動詞があります。その場合、
の「人に」を(半分冗談で)「恩人」と呼ぶことにします。「Nから」でも言えるところが特徴です。
 「組織」から「もらう」場合は、「に」は使えません。
 同様に「本を借りる」の場合、「図書館から」で、「図書館に」とは言えません。かわりに、「図書館」を[
場所]と見て、「Nで」が使えます。
給料の例で「会社で」とすると、意味合いが変わります。銀行振込ではなく手渡しで受け取る、という感じ
です。  
 この「に」も「から」も使えるという動詞は、何か抽象的な移動を表すものです。「借りる」の場合も、重点
は物理的な移動よりも(一時的な)使用権の移動とでも言うべきところにあります。単なる物理的移動で
ある「受け取る」は「に」が使えません。
     郵便屋さんから手紙を受け取ります。(×郵便屋さんに)
 「方向」や「到着点」を表し、方向性の感じられる「対象」や「相手」にも使われる「に」が、反対方向の動
きにも使えるというのは、不思議なことです。学習者にも、「出発点」の意味を持つ「から」のほうが理解し
やすく、使いやすいようです。   
(この「恩人」という呼び名は、何かほかの名前にしようと思っているのですが、いい言葉が見つからないままになっています。)
6.5 場所:Nに・Nで・Nを・Nへ・Nから・Nまで
 方向性や移動の話が続いたので、「場所」の補語について述べておきます。場所を示す格助詞の使い
分けの問題は「4.3.8-9」や「4.5 場所を表す助詞」で触れました。ここではその意味的な役割を並べて
みます。
 場所と言ってもいろいろな役割があります。
 かっこの中の名称は、便宜的なものです。細かく検討し始めると、いろいろ問題が出てきますが、ここ
では議論しないことにします。
  これらをみな個別の補語の種類と考えるか、「場所」という補語の下位分類とするか、という問題もあり
ます。(→「補説§6」)
  理論的には難しいところですが、教師と学習者にとっては、上のようなそれぞれの違いを理解し、使い
分けられればいいわけでしょう。
 なお、「相手」の「人に/から ものを」に対応する「所に/から ものを」はここに入ります。
     知り合いから中古のワープロを買いました。(人から)
 こう並べると、「相手」も「到着点・出発点」の一種と考えてもよさそうですが、[ひと]であることを重んじ
て別にしておきます。
 対象の「Nが」をとる動詞の主体が「Nに」になる場合は「抽象的な場所」としておきます。
    
6.6  範囲:Nで
  「範囲」は、あることが成り立つ範囲を示します。「Nで」で表され、一つの文の中に「場所」とともに使
われることがあります。その場合「Nでは」となることが多いようです。
 最後の二つの例は「で・に」「で・で」が使われている例です。(→「4.5 場所を表す助詞」)  
  
6.7 時:N・Nに・Nから・Nまで・Nで
 時の補語も、場所と同じようにいくつかに分けられます。
 かっこの中の名称にはあまりこだわらないで下さい。始めと終わりがある点は、場所と共通するところ
です。
 次の例では、[とき]の名詞が使われていますが、ふつうの「対象」の「Nを」と考えます。[とき]の名詞
を主体や対象としてとるような特別な動詞に限られます。
    
6.8  相互関係:Nと
  主に人が関係する補語としては、他に「相互関係」「仲間」があります。
  「Nと」で表わします。その動作を行うためには、必ずもう一人の相手を必要とする動詞や、二つのもの
の関係を表わす述語がとる補語です。「Nに」でも言える場合は、双方向的か一方かの違いになります。
「Nに」なら「対象」になります。
     似ている    等しい    同じだ   違う   異なる
            知り合いだ  友人だ    同郷だ
          
 「Nを」がある場合。「Nに」なら「相手」です。
    
6.9   仲間:Nと
  「Nと」です。「Nといっしょに」の意味で、多くの動詞に使われます。並立助詞の「と」と近いのですが、
ちょっとした違いがあります。
      1  彼女は彼と学校へ行った。(仲間、つまり「と」は格助詞)
      2  彼女と彼は学校へ行った。(並立助詞、「彼女と彼」は名詞句)
  例1のほうは「いっしょに」行ったのですが、例2のほうでは別々でもかまいません。「彼女は学校へ行
った」と「彼は〜」の二つの文をいっしょにしただけです。例1では「彼と行った」ので、行き方が違うので
す。
  先ほどの「相互関係」は必須補語ですが、「仲間」は副次補語です。
 「仲間」の「Nと」と「Nといっしょに」の違いは、「Nと」が「Nを」と共には使えないことです。
    
6.10  道具・手段:Nで 
   
  一般的な道具、交通手段、言語などを「Nで」で表します。
 
 
         
 
    
6.11  原料・材料:Nで・Nから    
  原料は「Nから」、材料は「Nで」で示される、と説明されます。つまり、元がわからないほど変化してい
れば「から」、そのものを見て元がわかれば「で」だと言われますが、微妙なところもあります。
    
6.12  原因・根拠:Nで・Nに・Nから
  原因は「Nで」または「Nに」で表します。精神的なことの原因は「Nに」で表します。微妙なところはよく
わかりません。  
 判断の根拠となることを「Nで」または「Nから」で表します。        
    
6.13 基準:Nで・Nに・Nから・Nより
 述語の意味内容が成立するための条件や限定を示します。形容詞文や名詞文でもよく使われます。「
基準」という名のもとにさまざまな用法を含めておきます。
 「比較の基準」と言われる「Nより」は「17.比較構文」でとりあげます。
    
6.14 変化の結果:Nに
 この本では以下の例を「変化の結果」を表わす必須補語とします。
 これらを、「AがBになる」の「Bに」を「Bだ」の変化した形とする分析があります。図式的に表すと、次
のように考えるのです。
 そう考えるとこれは複文になりますが、この本ではそのような理論的な分析はとらないことにします。(
「対象」の「Nに」にも同じような分析ができる構文がありました。→ 6.2.2)    
  
6.15  様子:Nで
  「Nで」で表されます。
 修飾語がついた形でないと使えない「Nで」が多くあります。
          疲れた顔で帰って来ました。(×顔で帰ってきました)
 上の「大声で・スーツ姿で・笑顔で・強気で」なども、意味の上では修飾語が含まれた形になっていると
言えます。(大声で→大きな声で)  
  
 以上で補語を一通り振り返ってみたことになりますが、つくづく難しいものだと感じます。分類のための
分類でなく、全体の見通しをわかりやすいものにするにはどうしたらいいのか、実用的でかつ理論的な
整合性のある分析が求められているところです。
  
[参考文献]
益岡隆志・田窪行則 1992『基礎日本語文法  改訂版』くろしお出版 
寺村秀夫 1978『日本語の文法(上)』国立国語研究所     
寺村秀夫 1982『日本語のシンタクスと意味I』くろしお出版     
益岡隆志・田窪行則 1987『セルフマスターシリーズ3  格助詞』くろしお出版
森山卓郎 1988『日本語動詞述語文の研究』明治書院
益岡隆志 1987『命題の文法』くろしお出版
石綿敏雄 1999『現代言語理論と格』ひつじ書房
村木新次郎 1991『日本語動詞の諸相』ひつじ書房
北川千里他 1988『助詞』荒竹出版
  
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